「美しさって何?」という審美眼の問い方を知っておくことは、 ロジックや知識を広く深く扱う上での判断力につながる。 アビゲイル・ハウゼンが考案したヴィジュアル・シンキングという美術鑑賞の方法論があり、 これは同氏が6歳から80歳代まで2,000人以上の被験者に対して ...

権限と権力は、特定のシナリオに基づいて特定の空間で与えられた「おまじない」の方法である。それが官公庁や企業や組織であろうと、政治であろうと変わらない。明言あるいは明文化された権限や権力のケースを見ていくと、管理のための管理を重ねて「失敗に対する言い訳」を ...

特定の場で価値がない物事があったとしよう。 物事のパッケージや、物事を持ち出す場所を変えてしまえば、 価値が付与されるケースは多々ある。 こと「働く上での価値」ことに絞っても、これは同じだ。 例えば、英語が喋れる付加価値があれば、事務の経験という付加価値の ...

群れずに一人でいることを、心底楽しんでいる人がいる。 それは「強いから」とか「一匹狼を自覚しているから」ということではない。 圧倒的に自由な自分の世界を楽しんでいるだけなのである。 一人でいるほうが、ちょ ...

大なり小なり、組織という仕組みは「管理」を行う。 管理が失敗するとき、ディストピア顔負けの「ウソつき体質」が生じるのは、 そこに老化や硬直や自発性のなさの誤魔化しが生じるためだ。 それは価値を失った組織の自滅かもしれないし、 落ちぶれた先のサービスの悪化かも ...

自分に迷惑を与え続けている、どうでもいい物事なんて、わざわざ「不快だ」「イラつく」という言葉を与える必要すらない。このとき、これを粛々と「ゴミ捨ての対象」と定義し、適切に処理して次に移ればいい。ここには、心も身体も住居も「ゴミ捨て」ができなければ行き詰ま ...

会得・習得した物事のイメージについて、誰かに向けてアウトプットすれば、それは立派なコンテンツだ。これを実行するには、ただ単に一つのことを極めようとするより、「興味を持ったことを組み合わせる」ことのほうがお得という事実がある。コンテンツとして他者に受け止め ...

人のせいにすることとは、要は「これ以上は自分では何も出来ないよね」と考えた末の決断だ。自分でロジックと知識を積み重ねた思考の先で、「この部分はこれ以上できない。無理ゲーだ」と判断がつくなら、あるいは「そもそもルールの前提が不利すぎる。面白くない」という説 ...

現実の物事にはおしなべて「冗談だろ?」と言いたくなるような感覚が混ざり込む。現実との差異にいちいち正直に悩まされてしまうくらいなら、物事は全て冗談やジョークから始まっていると思い込むのも悪くない。日々、報じられる物事や経験する出来事について、「これはあり ...

「その本音って、本音に見せかけて、実は誰かに言わされ続けているだけの、自分とあまり向き合っていない、バイアスのかかった代弁じゃあないよね?」自分に対しても他者に対しても、そのように問いたくなることが少なからずあった。まず断っておくが、本音を問う上で、自分 ...

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