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(公開日:2017/01/14、最終改訂日:2017/03/08)


「うっわ、この本の内容なさすぎ...。」

そう思わされてしまうワードが確実に存在します。
今回は、そんな無教養を「ダメワード」を集めて、どうにかして考えを広げてみました。 



【ダメワード】
サラリーマン、ノマド、独立、ブロガー
予備校、公務員試験、資格試験、過去問
就活、合コン、ナンパ、外資金融、外資コンサル、
成長、気づき、20代、30代、セルフブランディング
ロジカルシンキング、論理的思考


…眺めているだけで寒気がしてきますね。
 ざっくり、こんな程度のワードで、働くことやビジネス周辺の「ブログ」や「書籍」は完結してしまいます。 
 
なぜこんな「ハンコ語」で終えてしまうのか?簡単です。知識の流れが閉じていて、新しい考え方が得られないんですね。 「書き手に知的なしつこさがない」と言ってもいいかもしれません。





ダメワードから「論理的思考」を挙げてみましょう。論理ひとつとっても、ギリシア古典や哲学史の流れ、集合論や記号論理学(プログラミングもここに入れていいかも)といった「一見してビジネスで役に立たないように見える(けど外しちゃいけない面白い)要素」が、たくさん出てきます。それも対話形式で。

実際に、以下に挙げるような教養レベルに問題を抱えているということです。

本来の論理的思考は、このように対話的な考え方のはずなんですけども。 


ならば大学で教養を学べるのかというと、これも困難です。私の知るかぎり、日本で教養教育に真剣に取り組んでいる大学は数校しかありません。むしろ大多数の大学は、入学の段階で文系と理系に分けて教養と相反する教育を行っています。

(中略)

日本とアメリカでは教え方も異なります。アメリカのエリート校で行われている講義は、マイケル・サンデル教授の白熱教室を思い浮かべればわかりやすいでしょう。教授が学生に対して質問を投げかけて、学生が自分の考えを述べ、さらに議論を重ねていきます。

議論の先に、必ず正解があるわけではありません。しかし、だからこそ議論が盛り上がります。たとえば誰かが言った意見に、ほかの誰かが反対意見を唱えたとします。そのとき真ん中を取って結論を出すのは妥協の産物であり、新しい発見はありません。そうではなく、弁証法、つまり正反合で、新しい次元の解を探っていく。それが議論の面白さであり、学生はそのプロセスを楽しみながら自分の知見を磨いていきます。

それに対して、日本の大学や大学院では、いまだに教授が一方的に話して、学生はひたすらノートを取るというスタイルが一般的です。こうしたやり方で、学生が知的興奮を感じるのは難しい。

ハーバードビジネススクール・竹内教授の「冒険する授業」
(PRESIDENT 2014年9月1日号)


アカデミックスキル(職業研究者としての技能に限らず、上に引用した議論の仕方、論文の書き方、文献の探し方)が、知的生産や仕組みづくり、アイディア出し、デザイン、そしてビジネスにも役立ちます。

こんな前提が明確にある以上、「ならアカデミックスキルを紹介すればいいじゃん!はい終わり!」という事実が、ダメワードがダメワードたるゆえんなのです。




しかしそれどころか、信じられないことに「んなもんは大学院行ってからでいい」「いや日本のビジネスじゃ要らんよ」という考え方が蔓延しているという始末。

教養ベースの考え方に触れず、ダメワードを連発する場合は、「ぶっちゃけそのほうが書きやすくて売れるから」という本音がウラに潜んでいると、私は考えちゃいます。











本来であれば、自分の持つデータベースを深めながら広げて、新たなつながりを見出すことが、論理的に考えるためには大切なのですよね。そして、「人と人とが関わる上で用いられる論理」である以上、論理に限界があり、その限界を乗り越えることもまた論理だと理解しておくことも大切です。

リサーチ力や知的なしつこさがないということは、特定の分野を悪い意味で誤解しかねないということです。「他分野・異文化・異時代のことばと概念を、わからないなりに理解しようと試みる」という体力がないというだけです。



かつては旧制高校なんかで、知的なしつこさは常識だったはずですが(ただし、単に「昔は良かった」と言い切れば済む話題ではありませんけどね)。