猿もすなるアイデア出しといふものを、ティルもしてみむとて...。

心の安寧をさぐるため、読書猿『アイデア大全』を三たび活用してみる。


冒頭のように、ことあるごとにくだらないことばかり思い浮かぶ自分は、「替え歌」「パロディ」「本歌取り」も好きな分野のようだ。

心理的に疲弊しきったとき、こうして面白おかしく、奇妙なリレーショナルデータベースを組むかのごとく思索して書くことが、癒しになっている。

もともと、読むことも書くこともこれっぽっち好きではなかったのに、実に不思議だ。

ある程度ものを知った(と自認「だけ」できた)ら、はずみがついてくるのじゃないかな。

「ティル・オイレンシュピーゲルならどうする?」(p142、ルビッチならどうする?)

という問いでもっぱら動いてしまうのは、人文知の権威づけがへし折られてしまう自由さに笑うしかなく、耳と目を通じて心を奪われたからだ。


ドホナーニ(クリストフ・フォン)
2000-12-20

あちこちでドギツいいたずらを、言葉遊びやヘリクツと共に繰り返す中世ヨーロッパの遍歴職人ティル・オイレンシュピーゲル。

彼がストレスを抱えてうつうつとしたらどうするだろう?

『おそ松さん(くん)』の六つ子もビックリな「ギャグ漫画のご先祖様」でしかない彼は、癒しのために、自己啓発なんぞに本気でハマるだろうか?


否、むしろ自己啓発セミナーを企画して、小銭をかすめとる側に回りそうだ。

自分はそういうセミナーにお金を払ったことも参加したこともないが、自己啓発セミナーがどういう科学的・心理的な技法(のようなもの)を使いまわしているかを、読書を通じて探るのは大好きだ。

これも、「ヤツならどうするだろう?」から派生したイタズラ心のひとつに違いない。

自己啓発本とやらは、古典と呼ばれるものには目を通した。だが、

スティーブン・R. コヴィー
2016-06


D・カーネギー
2016-01-26


岡本太郎は、文芸書にして自己啓発書である本の群れを著している。これを超える自己啓発書を自分は知らない。



うつうつとしたとき、あるいはうつうつとしそうなとき、うつうつとした状況を打破したいとき、上記のような啓発的な本に触れるのは定石のひとつだろう。

だが、ここでまた繰り返そう。
ティル・オイレンシュピーゲルならどうする?(p142、ルビッチならどうする?)

ヒドいイタズラをする奴さんのことだから、普通のやり方と違う何かを見つけ出すに違いない。

彼はいろいろな親方のもとで働いた。私淑と捉え「ヴァーチャル賢人会議(p156)」が示唆に富む。

うつうつとしたとき、うつ病や心的ストレスに苦しむとき、苦しみを同じくする「ヴァーチャル賢人」には田中圭一著『うつヌケ』で出会うと良い。

noteの連載では、一部を無料で読むことができる。

氏の作品の特徴はそもそも、ティル・オイレンシュピーゲルもドン引きするほどの「究極のイタズラとしてのパロディ」だろう。






少なくとも、他者に害を及ぼさない限りは罪に問われることもない。「法律なければ犯罪なし・刑罰なし」である。

同じく、きっと訴えられることもない(はずだと信じておく)。

交響詩として音楽で描かれたティル・オイレンシュピーゲルのように、一方的に(?)処刑されることもまずない。

ストレスで罪の意識を自ら強調してしまうのは本当につらい。そうするくらいなら、いっそのこと、ものごとをなんでも笑い飛ばせるくらいの自由にだけしがみつき、遍歴してしまいたい。


『ライムライト』でのチャップリンのセリフにあるように、
「必要なのは、勇気、想像力、そして、いくらかのゼニだけなのさ」
ということでしかない。

なら、自由に遍歴をするための「お金の管理の技法」について、理解と活用のためアイデアを次に書こうと思う。想像力を巡らせながら。

イタズラ好きがこうじて生じたこの配列は、きっと「デペイズマン(p181)」ということだろう。