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そもそも「教養」つーのは何?

という記事を、つらつらと2つ書いています。

そもそも「教養」つーのは何?その1:分類すること

そもそも「教養」つーのは何?その2:自由になること

今回はざっくりではなく、テクニカルな面に絞っています。

教養とは「論文を扱えること」  だと言えるでしょう。

まず言い切ると、論文とはコミュニケーションツールです。

これは何も、職業としての研究者(大学や企業に雇用される専門家)だけに独占されたスキルではありません。
技術者であっても、ビジネスに従事する人であっても、価値を創るには間違いなく役立つ基礎力です。



「論文を扱えること」の効用として、
・文献を調べて自由自在に情報を読み取ることができる
・最新の先行研究や過去の知見を知ることができる
・フォーマットに則った文章やプレゼンを公開して議論できる
・自分で物事を組み上げて価値を創ることができる
といった要素が挙げられます。










もし心理学の基本的な仕組みを少しでも知っていれば、
自律訓練法の論文を調べてストレスを緩和できるかもしれません。

もし人文科学の知識しかない人が民法のとっかかりを得たければ、
自然法を通じて検討してみることも理解の一手でしょう。

もしあなたが会計に興味のある技術者なら、
技術論文誌を読み解くことが、データベースと財務会計の橋渡しになることでしょう。
(参照先:会計の基礎理論と情報構造からみた会計システムのアーキテクチャ

要は、自分の得意分野を深めたり、得意分野と知りたい分野(あるいは苦手な分野)を結びつけて理解を促進したり、新たな視点を得られる機会につなげられるということが、主な効用なんですね。





『本を読む本』は、本の構造や文面の読み方に論点を絞っています。

本を読む本 (講談社学術文庫)
J・モーティマー・アドラー
講談社
1997-10-09


ここで言う「論文の扱い方」は、知識を広げたり深めたりアウトプットしたり、先行研究を知って今の位置を知る、いわば「知識の読み方」がポイントになるでしょう。




これは「既知・未知の知識を区分けして、新しいものごとを掘り進めていく」ことに他なりません。

「論文を適切に扱えること」は、「自分の視点から適切に知識を扱えること」につながり、次から次へと新たな切り口をもたらしてくれます。

独創的でワクワクするような視点を提示できる書き手は、結果的にこういう知的生産が得意だということですね。





最後にスパイスとして、論文を離れたイタズラっぽい発想で、読み手から主体的にワクワクできる「新たな切り口」を提示します。
 「書き手がどのような視点を持っているか」という観点で、研究者や科学者や作家や著述家を眺めてみてください。
具体的には、その人の経歴や所属先や政治的・経済的な立ち位置
を見ておくといいでしょう。これで、

・話し手の政治・経済・心理・ビジネス上の意図がどこにあるのか
・どういったお金の流れを抱えて言いたいことを言っているのか
・先行研究を無視し、不完全で瑕疵を抱えたまま強弁を繰り返す背景は何か
・専攻分野に制約される知識上の問題点がどこにあるのか

という具合に判断がつきます。

これを通じて、ヘンテコなモノを「ヘンテコだ!」と言えるだけの素直な判断ができるでしょう。

なんだか監査みたいな発想ですね。







きっとですが、
・書き手が良心的でユーモアのある知識人か否か
という点もここで判断が付くはずです。
もちろん気に入ったら、著書を買ってあげることもお忘れなく。