「わたしはこの分野ひとすじです」と謳うことは、一見すると美しい。
高校生くらいまでのうちに、うまく調教すれば、軍隊のように一糸乱れぬ動きを会得できる。
運動部や吹奏楽部はこの好例だ。試験対策も同じだと言っていい。
しかし、一本道で焚き付けられて仕込んだものごとは、いずれ自滅を招く。
それはなぜか?
世界が狭く、不自由になるためだ。
学ぶことや知識や知性を無視して、運動部ばかりに追いやると、図体のでかいだけでうるさい底辺が出来上がる。
行動や情操やメンタルを無視して、試験対策ばかりに追いやると、口先だけ達者で本も読めない「コンプレックス持ち」が出来上がる。
この二者は、どちらも世界が狭く、特定の分野の常識に流されている。
さらに心の余裕がだんだんとなくなって、マナーやしつけがお留守になることでも共通している。
一方的に教え込まれた世界から逃げ出せないまま、一生コンプレックスを背負って生きていくしかないかのような顔つきを、早くも高校生くらいから作り上げてしまうのである。
いずれも自分が一次情報として経験した物事であるが、部活であれ色々な受験であれ、就職活動やそれ以降であれ、これにはほとんど例外がない。
この原因は、ライフイベントで、自分で何かを決める自由がないまま時を過ごしてしまうことにある。
もしあなたが特定のコミュニティ内部や、群衆の中で「何かがおかしいぞ?」と感じたら、周囲が自由を持たずに流されている可能性をすぐ疑って構わない。
少なくとも、第一線で活躍し、一流と称される人は、武芸百般や百科全書と呼べるほど、多彩な背景や知性を抱えている。
有り余るほどの、自由な発想と一緒に。