「将来予測モデル」への本音

daily0 本音たち。

統計的手法や会計的手法を用いた将来予測は、あくまで「現時点から読み取れる合理的なシナリオ」の延長に限られる。

現時点での前提が崩れれば、この将来予測のモデルの寿命はそれまでだ。再び、シナリオとモデルを組み直す必要が出てくる。予測はモデルのスクラップ・アンド・ビルドの繰り返しだ。

これだけだと味気ないので、将来と将来予測を定性的に捉えなおしてみよう。

まず「そうだったらいいのになぁ」という、欲しいシナリオへの願望がある。
(例えば、研究成果を認められたい、もっと稼ぎたい、作品を残したい、結婚して幸せになりたい…など)

他方「でも今ってこんな具合だよね」という、現状に根ざしたシナリオが見えている。
(例えば、能力が冴えない、容姿がしょぼい、いい人がいない、チャンスがない、行動ができない…など)

願望か現状かを問わず、これらのシナリオは、バラバラに存在していたり、部分的にくっついていたり、根っこが共通していたり、思わぬところでつながっていたり、あるいは切り離されていたりする。

この「シナリオの集合」が、お互いに(あるいは独立して)機能し、刻一刻と変化を呈し、大抵の場合は少しずつゆっくりと将来を作り出していく。確率過程みたいなものと考えると良い。

将来予測はどうだろう。

これらのシナリオの必要な要素に着目して、シナリオ間のつながりや違いに着目し、どのように変化しうるか、あるいはどうやったら変化にこぎつけられそうかを解釈し、行動してみることにほかならない。

主体的に動いて(あるいはダラダラとでもいいから動いて)、ステージを作り、物事が自分にとって有利になる確率を少しでも増やすのみである。
少しだけ動いて見た先に、味わい深い予測のシナリオが立ちうる。
将来予測を狙って当てることが必ずしも可能とは限らない。

容姿がしょぼいとゲームセンターに篭っていたら、そのまま意気投合出来る人を見つけ結婚してしまう人もいる。

能力が冴えないと思ってドロップアウトした人が、ウェブで有名になってしまう場合もある。

ただただ残念な点は、こういう場合、
「え?結局は破局してボロボロじゃないか」
「え?この程度の見識しかないのにプロを名乗れるの?」
という感想しか出てこないところにある。

上記のような人は、精神的にも知性的にも余裕がなく、悪い意味で常識を知らず、敬意など一切払いたくないような立ち居振る舞いが目立つ。

せっかく偶然が味方してくれても、文化資本がなさすぎて自滅してしまうのでは、同じ人間として救われない。

将来予測するにせよ、偶然を味方につけるにせよ、準備不足だけは避けられるようにしておきたいよね。

遠藤武(えんどう・たける)
グロースハッカー。

↑詳しい自己紹介は上記リンクを参照。

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