「科学知識の対立」への本音

daily0 本音たち。

専門知識の必要な分野で、以下の二つが対立したとしよう。

・科学的に正しいとされる策
(デメリット: 不変かつ無謬とは誰も保証しない。推進者は専門家の皮を被った営業マンの可能性大)

・ユーザーに寄り添った策
(デメリット: ともすれば、無知でも声が大きければ言いたい放題できてしまい、非科学的になりうる。)

知識を駆使できる専門家が目指すべきデメリットの低減は、後者の目線での前者の精査と、前者の目線での後者への寄与の、二点のバランスだ。

この視点を無くすと、科学的だろうと非科学だろうと、科学が人間を無視した、胡散臭い宗教と変わらない代物に堕してしまう。

疑似科学だろうと疑似科学批判だろうと、御用学者だろうと御用学者批判だろうと、科学のフンドシで相撲を取ってお布施を得る人には、等しく注意を払っておくしかない。

遠藤武(えんどう・たける)
グロースハッカー。

↑詳しい自己紹介は上記リンクを参照。

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