公私を問わず「メディア」は何らかの意図が明示的または暗示的に存在している。

この意図こそ「バイアス」だ。

誰かに物事を的確に伝えるには、書いたものがどのように解釈されるかを、徹底してコントロールする意図が必要である。


このとき、何らかの偏りが不可避的に生じてしまう。メッセージを的確に伝え続けるには、バイアスを避けて通れない。

むしろ物事には全て、何らかのバイアスがあると思っておくくらいでちょうどいい。

科学的手法に固執しすぎて、既存の手法による追認に終わり、実は非科学的だとか一意に定まらないだとか、ろくに先行研究も調べていないだとか、残念な結論を招くことは多々ある。



バイアスをなくすことも、バイアスを嫌うという意図を実現するための「バイアスフリーというバイアスによる上書き」だ。

メディアを分析的に見る上で、欠かせない意図ということだよね。