「苦しい時の神頼み」の扱い方

daily0 本音たち。

どうしても生理的に無理であるとか、思考と行動を繰り返してもどうしようもなく嫌悪感がある状況を「苦しいこと」としよう。

これに対処するには、「天から眺める」という思考実験をすればいい。
徹底的に別次元から眺めて、全てを見下ろすのだ。

これは、神様にでもなったか(あるいは、神様の肩に特別に乗っけてもらったか)のような視点を持つということだ。苦しいときほど、見下ろす視点を大事にすればいいだけだ。
神様や神頼みという発想が宗教的にマッチしないというのであれば、「今の自分はこの人には絶対に敵わない」という人の肩でも借りればいい。
こうやって内心を大仰に構えて淡々と行動したところで、「バカじゃねーのこいつ」と他人から矮小化されてコケにされることもない。
もちろんバカにされたっていい。でも、バカにされるのが苦しくて勇気が出ないのももったいない。だからこその、誰にも奪えない自由な思考実験だ。
内心の自由を行使し、単独で隠密行動
出るゴッコ遊びを楽しむことに集中するのである
このとき、「秘密結社」だとか「宗教団体」という群衆の発想など捨てたほうがいい。実際にそういう結社を作る意味なんてたかが知れている。寂しく侘しい群集心理で、空虚さを埋め尽くすことに、意味などない。
ソロプレイでの思考実験のために、伝統的な知識や最先端の知識を集めて行動に移せれば、ほとんどのことは矮小化されてくる。

矮小化しきれず、ついつい残ってしまうものは「自分自信と向き合い、大仰な発想を行使するための自由」だけなんだよね。
遠藤武(えんどう・たける)
グロースハッカー。

↑詳しい自己紹介は上記リンクを参照。

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