いちばん冷徹なコミュニケーションとは、計画的に無視することである。

悪口や陰口はもっぱら感情がもたらすものだが、無視は計画的かつ合理的に行える。

どうでもいい物事とはいっさい関わりもせず、あいさつも会釈も最低限でいい。計画はそれだけだ。



計画的な無視がもたらす合理性とは、嫌われるべき層から嫌われたり、畏怖されることにある。

ノイズをカットするフィルターを実装すると考えよう。

時間と思考を有効かつ最大限活用するなら、このような冷酷にも近い冷徹さのフィルターが必要だ。



ウェブ上で言えば、文章で言及せず、メールも「いいね」も送らず、何も返さないでいればいい。

さらに言えば、「ブロック」すらしてはならない。

相手に記録を与える反応をするのは、小物っぷりを相手に印象付ける広告塔でしかないのである。



もちろん、好きな物事を目の前にしたら、ここぞとばかりにコミュニケーションを大事にするといい。

言うまでもないが、感情的になって無視でごまかす層と、計画的に無視を活用する人は、全く異なる。

前者は不自由であり、後者は自由であるということは、わざわざ繰り返すまでもない。



感情的になって無視することは、キャンキャン吠えたり、都合の悪いことをブロックして誤魔化すヘナチョコの証しだ。

せめて無視することくらい、冷酷なほど合理的に、畏怖をもたらすように進めたいよね。