「えええっ?すごい!」と、つい衝撃を受け、ハッと納得させられる知見がある。

そのような知見のみを、インサイト(洞察)とは呼ぶことにしよう。

かといって、何でもかんでも衝撃を受けるほど、人間は単純すぎることもない。

この違いはどこにあるのか。



インサイトの出し手が、衝撃と納得を与えることが出来る仕組みは以下にある。
・大胆かつ繊細な問題提起と要件定義
・ゴールへ向けた大局観とシナリオと知識の提起
・スタートとゴールの差異の埋め方の提起とリスク管理
・上記の語り口調の大胆かつ繊細な設定



真ん中の2つは、ロジックで解決できる物事だ。大抵の場合はここで止まってしまう。

一方で最初と最後は、ロジックに加えて、メンタル面やセンチメントや文脈に、大胆かつ繊細に寄り添うことが求められる。

「知恵と知識に加え、立ち居振る舞い(ビヘイビア)や優しさがものを言う」と言い換えて差し支えない。



正しいことを言っていても、ビヘイビアのガッカリ感で、不要な不快感を招くことがある。

「えっ、こんな良いことを言うのに、この程度のボキャブラリーや立ち居振る舞い止まりなのか」

そう思われてしまえば、即お陀仏だ。



自分で良し悪しを気づける(気づかされる)環境や人間関係や知性に身を置き続けることのみによって、インサイトを出すビヘイビアが初めて保てるのだ。

ハッと納得し、状況を良好に上書きして影響を与えてしまうインサイトは、繊細なビヘイビアと大胆なロジックの(あるいは大胆なビヘイビアと繊細なロジックの)両輪にあると言っていい。

この感覚がぶれる、悪い環境に身を置いてしまえば、いくら良いインサイトを出そうとしても、尻切れトンボのままである。



インサイトを出し続けることとは「おかしい」と感じたら、自分の世界観を死守するためにさっさと次へ進んでしまうことだ。

少しでも悪いと感じた環境であれば、周囲の全てを自分の感性と好き嫌いを研ぎ澄まし、こっそりと、かつ自分でドン引きするほどまで、大胆かつ繊細に上書きすればいい。

数日や数ヶ月や数年のスパンではなく、100年や1000年や万年以上の単位まで、思考や知識を巡らせてしまうおう。



大胆かつ繊細なインサイトを、どんな知識や分野に基礎づければいいか、これで自ずと見えて来る。

自分で自分をドン引きさせる。そんな知恵を引き出して物事を上書きするくらいで、ちょうどいいんだよね。