「ワクワクすること」の扱い方

「ワクワクすることをやろう」
このフレーズは、今や耳にタコができるほど使い尽くされている。

今更感は拭えないが、素直さがあって、幼少期を思い出すような言葉の響きでもある。率直に、物事にとりかかるハードルを下げてくれる。

いっぽう、退っ引きならない状態だとか、悔しさで泣きはらす以外にないような、ワクワクできそうもない事態では、この言葉はどうか。このような状況下で、無理して「ワクワクすることをやろう」というフレーズに従えと言い切るつもりはない。

ポキリと折れることを回避するには、まずは「生きていてよかった」と思える方向に流れを仕向け、少しずつワクワクする。まずはゼロスタートしたと思って、自分の欲求を満たしていこう。

食欲・睡眠欲・性欲・安心感・知識欲・承認欲求…と、マズローの欲求段階説に従っていけばいい。

この過程で「どうせワクワクなんて来ない…」と、自己否定してしまうフェーズが来るかもしれない。それは他人からのいわれのない批判かもしれないし、ふと湧き出る自己批判かもしれない。

そんな時は、「批判なしこそ疑ってかかる」「批判ありは独創性の入り口」という陳腐な言葉に習いつつ、「自己批判こそ最大のボーナス」と思っておくくらいがいい。

ゼロスタートしたのなら、自分で自分を批判したくなるくらい揺れ動く葛藤は、当然の流れだ。

常識を破るために挑戦しているからこそ、常識が見え隠れして、自発的な自己批判が生じるのである。むしろゆったり構え、自己批判を「あ、常識的な視点が機能している。自分は健全だ」と客観的に眺める程度で十分だ。

天下り的なモデルケースに従うのではなく、自分で自分の道や世界観を打ち立てるとき、無視や孤立無援や猛批判は免れない。常識的な視点の自己批判が加わるのは、体と頭がきちんと噛み合って動いている証拠だ。

客観的に言語化して眺めた上で、それをどうやったらはね飛ばせるかを、言語化すればいい。まずは常識を知っていなければ、それをへし折って非常識にはなれない。そして退屈を知っていなければ、ワクワク感など出せない。

まずは客観的に眺め、そこから不条理に対極を眺めてみるだけでいい。
結局は、悲観を笑い飛ばせる楽観があるほうが、タフにワクワクできるんだよね。