ヒエラルキーは、目に見える後天的な要素に思われがちだが、実は物事が始まる前からとっくに決まっている。

階層に応じ、扱うボキャブラリーはおろか、発想や思考・嗜好からして根本的に異なるのだ。

それは大学のレベル差かも知れないし、扱える言語(数学含む)の数かもしれないし、スポーツや芸術の経験の違いかもしれない。



与えらえたヒエラルキーをボンヤリと見過ごし、知的体力の不要な漂い方を繰り返してしまうと、ヒエラルキーに従う以外に道がなくなってしまう。

ただしヒエラルキーに従っている人は、自分がヒエラルキーに無言かつ盲目的に従っていることすら(時にそれで傷ついていることすら)気づかないのだけれども。



このヒエラルキーを突き破る唯一の手段は、常識に屈さない知的体力だ。

網羅的でナラティブであり、自分自身や扱う分野の限界と常識を突破するための、瞬発力と柔軟性と持久力だと言い切っていい。

この知的体力とは、試験対策だとか、戦略コンサルタントのフレームワークだとか、それよりレベルの低いフィジカルな流れを全部含んでいる。

フィジカルな結果を導出する作業の、完全上位互換 である。これら実務で行う程度のことは、知的生産の落とし子程度過ぎない。



まずはヒエラルキーに痛いほど気づこう。そして自分に足りないものと毎日向き合おう。

その上で、どのように軽やかに風穴をあけ、いかに状況を活用していくかを、自分で削り出せばいいんだよね。