「駄作のアウトプット」の扱い方

自分の作品や発言やアウトプットを「駄作だ!」と断じてしまうことは、佳作のタネや芽を踏みにじることだ。

「駄作だろうと何だろうと気にせず出せ!」というひたむきさは共感できるが、もっと冷静沈着な発想がほしい。

そんなときは、「駄作をアウトプットすることとは、ランダム(無作為、偶然)を作る、知的な自作自演」と思っておくくらいでちょうどいい。

例えば「自分で自分が何をしたいのか、すべきなのかわからない」というような、答えのない根源的な問いがあったとしよう。そんなときこそ、しつこく繰り返し、時に適当に、でも形を変えながら「何がどのようになぜわからないか」を何度も何度も表現すればいい。

えがない問いについて、その場での答えを素直に切り出す行動は、それだけでただ尊い。切り出すことを通じて、自分に無かった視点を得られるからである。アウトプットしたおかげで、思わぬ偶然が得られたら、心のうちでガッツポーズをすればいい。

就職や転職の面接だろうと、相談に乗ることや乗ってもらうことだろうと、
論文や作品を書く・描くことだろうと、いずれも「物事を資材のように切り出して伝える表現」という点は共通している。

それぞれルールや要件や技術は異なるが、制約のある中で的確に表現し、他者と共有し「こんな考えもあったんだ」「こんな場があったんだ」というマッチングを誘発できれば、それでいい。

稚拙な表現や失敗作を、100回でも1,000回でも10,000回でも重ねて成長し、世紀の大発見と言えるアウトプットが1つでも成立したなら、それだけで万々歳だよね。