「データベース」ごっこ

書籍や文献や作品や経験は、それ単独では多様かつ(ほぼ)独立した世界観を持つ、データベースの1つだ。

リレーショナルデータベースのようにこれらを組み合わせて扱い、自分というデータベースを構築するのである。自分の世界は、このとき色々な世界観を組み合わせて作った自分だけの世界観として捉えなおすことが出来る。

引用ありの論文であれ、オマージュやパロディのあるオリジナルであれ、まずは組み合わせて自分だけの世界観を書き出せばいい。データベースとして、リレーションを持たせる際の「主キー」のような部分は、論理的な物事でも非論理的な物事でもいい。

時代の趨勢に合わせるとか、時代に反逆するとか、そんなことよりも、自分の目先の悩みを叩き割って自由になるために、共感や反発できる物事を複数組み合わせてみればいいのだ。

日常がしんどいというのであれば、感情をエンターテインメントとでも思うくらいでいい。
日々、暴力や貧困に苦しむなら、そんな世界観の押し付けなんて、文字通りさっさと投げ捨てればいい。

このとき、「誰かの世界観の押し付けに流されて、データベースを作っていないか?」という点に十二分に注意を払っておこう。コンピュータ上のデータベース設計と運用がデタラメであっては困るが、自分の世界観を描写する脳内のデータベースが、自分だけの論理(や非論理)を展開する上では、人を傷つけるようなものでさえなければ、他者の論理を嫌々押し付けられずにデタラメであるくらいでちょうどいい。

この発想を、データサイエンスに対置して、データアート(データアーツ)とでも呼んでみると面白い。