「価値」の本音と扱い方

どんなにゴミのような物事だろうと、そこに価値を見出せれば、それは立派な付加価値だ。

注意したいのは、
・常識や伝統の理解や懐疑を経た上でアップデートする営みから出る付加価値
・常識や伝統の理解と懐疑がずさんなものに値札を付けて出した付加価値
のいずれも、世の中に存在している点である。

前者は根源をトラッキングすることができるが、後者は根源を問う姿勢ゼロの「消費のための消費」だ。
ただし後者のように、中身がなくとも売れているという矛盾は、眺めていて面白いので否定するつもりはない。

ここで問題にしたい点は、
「値札がついて売られているものについて、その根源を問うことができなければ、わざわざ消費する価値なんてないんじゃないの?」
ということである。

価値があるように見せかけて実は価値ゼロの「粗悪品」の、何が問題なのかを問わないことが問題なのである。以下で述べたが、そのような粗悪な「価値の顔をした無価値」には、基礎も個我も自由もない。

いっぽう、「この元ネタって実はこれかな?」と思えるような物事については、あとあとになって(はからずも)探り発見する楽しさが待ち受けている。これぞ、発見することから生まれ出る価値である。

「そのようなものを消費して、本当に意味があるの?」と思えてしまうものは、消費者の目が厳しくなった今では、いずれ消えてしまうんだけどね。