「ひっかかり」の扱い方

daily0 本音たち。

疑問点や悩みのような「ひっかかり」がある状態は、
「ひっかかりをアウトプットにつなげてしまえ!」というサインだ。

何らかのインプットが先立って存在しなければ、ひっかかりは出てこない。
このとき、ひっかかりにさらなるインプットをぶつけて、
叩き割るか磨き上げてしまえばいいのである。

途方もなく絶望的な状況だろうとも、
ほんの少しでも物事を良くしようという思いがある限り、
自分自身はすり減らないし、壊れてしまうこともないと断言できる。

もし自分自身がすり減り壊れてしまうとしたら、
それは人や組織を問わず他者に自己決定権を支配されているときである。

賽の河原の石積みが苦しくつまらないのは、誰かの支配によって繰り返し積み上げるのみだからだ。
同じ石なら、崩された石たちを「他山の石」として活用し、自分自身の自由に回帰させればいい。

ひとつひとつの知識や経験を石だと捉えれば、
これらを叩き割るも磨き上げるも、そのまま活用するも自由だ。
石器をつくるも、石器から人類の進化・進歩を考察することも、また一興である。

ここまでであれば単なる言葉遊びだが、
実のところ、ひっかかりで少しずつでも謙虚に(時に大胆に)アウトプットしてしまえば、
思いもよらない出会いや出来事やトレーニングにつながることは間違いない。

嫌いな場所や相手に対してアウトプットしろとまでは言わないけれど、
全てにおいて黙って、自分の存在すらなくなってしまうのはもったいない。

ボロボロになりながらだろうと、楽しみながらだろうと、
ほんの少しでも物事を良くするため次の世界を探すことだって
アウトプットのあり方のひとつだ。

自分自身がひっかかりを提供する側に回って、
誰かをひっかけて、九死に一生を与えてしまうこともある。
それだけでもとんでもなくお得だよね。

遠藤武(えんどう・たける)
グロースハッカー。

↑詳しい自己紹介は上記リンクを参照。

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