「本音」の問い方

daily0 本音たち。

その本音って、本音に見せかけて、実は誰かに言わされ続けているだけの、
自分とあまり向き合っていない、バイアスのかかった代弁じゃあないよね?

自分に対しても他者に対しても、そのように問いたくなることが少なからずあった。

まず断っておくが、
本音を問う上で、自分と向き合えていないことが悪いと言いたいのではない。
なので、ちょっとドキッとしたのなら、まず深呼吸しよう。

気づくべきは、
「本音という言葉で関所をつくって、川の向こう岸では感情がこじれたまま、
内々をウソをウソで(あるいは無知を無知で)塗り固めるのはもったいないよね?」
という点だ。

また「本音とは、スパッと言い切ることだ!」と安直に単純化してしまうと、
本来一番おもしろい部分である「問いかけ」とか「対話」が失せてしまい、
ロジックからロジックを作り上げる過程が断絶してしまう。

そのせいで本来言語化したい本音が隠れてしまうのは、
自分の資産を隠してしまうようでもったいない。
えぐり出してみないことには始まらない。

自分が、自分の本音をえぐり出す上で大切にしている流れは、以下の4つだ。
・本音がブレるので感情に流されない(感情が先行するならまずはストレスを下げて適当にやり過ごす)
・本音に見せかけた「偽本音」の有無を逐一確認する(ロジックや知識をぶつけて、誤解を持ち込まない)
・その上で、シンプルに自分の言葉で吐き出す(分かりづらい部分は、ロジックと知識を用いて予測や推定を行う)
・上記3つのサイクルを繰り返し、えぐり出すアウトプットの量と質を向上する

要は、ストレスを減らし、ロジックと知識に基づいて、予測や推定も用いて本音をえぐり出し、
この「本音サイクル」の品質を向上させていくというだけである。

例えば、本音をえぐり出す上で、
・自分の脳裏に浮かんだイメージをどうやったら活用できるか?
・自分の現状から言えば、標準的な生き方はどんなものか?
・自分としては、どのような生き方が面白いと思うか?
・標準からどれだけ乖離している(近い)のか?
・それは定量的か?定性的か?
・乖離の根拠は何か?面白おかしい要素はないか?
・これをもし他者に伝えたらどうなるか?
・全部伝えるべきか?一部にすべきか?全く伝えないか?
…というように、ブロックを積み重ねるようにロジックを積み重ねて遊んでいる。
やってみたいことがあるときは、このようなサイクルで遊びつくしてから決めている。

真っ先に不安感を低減させるには、
この先でやろうとしている本音のえぐり出しは、形のないブロック遊びなんだよね
と思っておけばいい。

発言したらまずい要素が、実行にも言動に出なければ、誰にも迷惑はかからない。
これと逆に、嫌なことをやらされたり、忙しさに追い込まれてしまえば、
この「遊び尽くす思考」は確実にままならない。

本音を問うてスッキリするとしたら、まずは「遊び尽くす」という発想ありきでいい。
本音のための本音としてえぐり出してもいいし、
感情に流されないようにするために方法として本音を探ってもいい。

どちらも等しく、本音の使い道の本音なんだよね。

遠藤武(えんどう・たける)
グロースハッカー。

↑詳しい自己紹介は上記リンクを参照。

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