「冗談」の扱い方

daily0 本音たち。

現実の物事にはおしなべて「冗談だろ?」と言いたくなるような感覚が混ざり込む。

現実との差異にいちいち正直に悩まされてしまうくらいなら、
物事は全て冗談やジョークから始まっていると思い込むのも悪くない。

日々、報じられる物事や経験する出来事について、
「これはありえない」「しんどい」「ばかばかしい」…という疑問を感じたとすれば、
その冗談には「どこがどのように{ばかばかしい}か」を照らすための裏取りが必要である。

幼少期に想像もつかなかった分野について、
現に達成し実績を上げている分野があるとすれば、それもまた冗談だ。
冗談の世界をさらに押し広げてしまうくらいでちょうどいい。
空想が現実を超えてしまったら、それが一番爽快であり、それが最も目指すべきところである。

日々、何かに追われてつらい思いでふさぎ込んでしまうのならば、
「冗談じゃない!」とキレ出す前に「いや、これは冗談を現実だと思い込まされていただけだよね」と言い聞かせればいい。
現実解を出すには、冗談のような願望が先にあったほうが、明らかに楽だからである。

眼の前で把握できる程度の範囲はさておき、
文脈や空間や時間に一定の飛躍や間隔があると、いかにそれが事実であったとしても、
冗談や不条理やばかばかしさの類にしか聞こえないことが多々ある。

今から500年だか1,000年も前の人が、今の時代の文明や文化を伝聞したとすれば、
ほぼ確実に悪い冗談にしか聞こえないだろう。
(古典や史料を読む際の注意点として、時代背景を考慮する必要があるが、これは上記の逆である。)

時代の間隔や常識だとかを超えて、
まったく一意に定めきれない多様性があちこちに出てきていると言っていい。

既存の常識では掴みきれない要素が、既存の常識を知らず知らずのうちに壊していて、
例えば既存の組織が「気づいたら潰れていた」ということも十分に起こりうる。

組織立った体系性がまだまだ残っている一方、
技術や言論の広がりが個人レベルまで落とし込まれて来ているため、
既存の組織程度ではとうてい追いきれないような情報のアップデートの発想が無数にある。

そのようにスキマを縫ったビジネスや企画やスタートアップがゲリラ的に出てくるのも、
既存の組織が知らず知らずに立ち遅れてリストラに走るのも、既存の当事者からすれば「悪い冗談」でしかない。

変化が激しかろうと、変化がなかろうと、
どこかのラインで突然「残念!それ実は間逆なんだよね!」
と、質の高い新規参入者が入り込んで来る。

最初は冗談に聞こえようと、その冗談が席巻してしまえば、常識が全て変わってしまう。
(補足しておくと、ウェブetcでスキマを縫った個人が、既存の「自由のないブラック企業」のような低質な事実や発想を垂れ流している。これは「最低最悪のダメな冗談」である。
せめて、ロジックでロジックと知識を集めてロジックを重ねるという基礎力(アカデミックスキル)は最低要件だ。発言も学位も実質的にフェイクというのは、笑えない冗談だ。)

「いま見えている現状は冗談だ」
「冗談には、もっと面白い冗談で対抗してみよう」
「出来る範囲でいいから、冗談と現実を対比して、事実を面白くしよう」
と思って行動するくらいで、現実程度に対処するにはちょうどいい。

せっかくなら、事実につながる冗談を起点にして、
人を自由に出来る立場であり続けたほうが面白いよね。

遠藤武(えんどう・たける)
グロースハッカー。

↑詳しい自己紹介は上記リンクを参照。

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