「不都合な真実」という言葉の本音を探って評価した。

「不都合な真実」という言葉の価値を探っていこう。

(本音)

これをわざわざつきつけることの価値は、

フェイクとも客観的事実ともつかないことを強調して、

相手を不自由に追いやるという意図にある。

そもそも、これはアル・ゴア元副大統領が著書のタイトルで使った

「不都合な真実」という言葉(An Inconvenient Truth)から来ているのだけれど、

キャッチーな響きを用いた類書を多数見かける。

わざわざ「不都合な」と付けるのは、
「悔しいから心象を悪くしてやる!」
という感傷の現れだ。

(取扱方法)

本当に不都合か否かはさておき、

「不都合な真実」という言葉を聞いたら、

科学や事実の価値が捻じ曲げられているという可能性も疑っておくといい。

せめて、以下を満たしていることが大切だ。

・引用文献を適切に引用している

・「ここの部分はまだ不確定である」と明示する

・主張にとって不都合な先行研究も網羅している

これらを満たしていて、初めて「科学や事実に誠実に向き合っている」と言える。

(評価)
不都合な真実にとっての不都合な”事実”」までカバーしていれば自由のための価値あり。

そうじゃなければ不誠実なだけだよね。

先行研究を網羅していないとしたら論外だけれども、

不都合か否かばかりが論点になることは、実は科学の話でも何でもなく、

科学の言葉を借りた口喧嘩でしかありません。

誰かを貶めるために、歪んだ尾ひれをつけず、

自分にとっての不都合さと競争すればいいだけなんじゃないかな。