しがらみに寄生するのは、年齢を問わずカッコ悪い。
「しがらみにとらわれず、せめてもうちょっと頭を使ったらどう?」
と思わされる、高齢者の言説は少なくない。


特に、以下のような元有名サラリーマンのお爺さんの言説ともなれば、

トレンドは「仲間にしか関心を持てない程度のお金や発想しかない」くらいの弱りきった状況であって、この解決策はそのような層への出資でしょ?
本来あるべき言いっぱなしではない論点はここにある。

仮に百歩譲って言いっぱなしを許容したとしたら、
元サラリーマンのお爺さんがこういう言いっぱなしをやらかすと、
「あーあ、また老害が始まった」という感想しか出てこない。

そもそもロジックを武器にしていた人が、自分の知識やロジックで考えている自由がここにあるの?
という、前提をちゃぶ台返しすることでしか咀嚼できない、知的好奇心を喚起しない要素に残念さが残る。


要は、こういう現象は肌感覚を失った賞味期限切れであって、
サラリーマン組織で疲弊を経験した人が、
気づかずにジェネレーションギャップを煽ってしまうことに、
科学も文芸も目新しさも何にもないよ。気をつけようね。

ということである。

最初から自由に視点を置くと「何でこんな煽りをやらかすの?」という感想しか出てこない。
高齢者向けの「炎上マーケティング」とでも言えば、わかりやすいのかもしれないけれど。


それならば「若い人が成果を出すためにお金が回るようにする」という発想のほうが、
現実的に考えてお互いにハッピーということだ。

そもそも今の世の中には、
「加齢でQOLが下がったから安楽死を選んだ」
という人すら出てきている。
むしろこのような議論の喚起のほうが、よりいっそう頭を使う。


科学や技術に一生貢献するか、詩歌や音楽や文芸に親しむか、
そのどちらかに(どちらにも)出資するのか……。

「あーあ、また老害が始まった」という発想は簡単に喚起できても、
成長だけでなく、老いと死すらも議論の喚起の材料に使ってしまうことは、
そう簡単に代替できない「年の功」なんだよね。