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この絵は、幼少期からの知己である美術家さんの素描の模写です。
元の絵は横顔だったが、正面からの構図に変えています。
(もし誰の絵かわかったら凄い。。!というか、元絵の凄みは何度見ても凄い。)


イタコ漫画やイタコ絵というジャンルがありますね。

この好き嫌いはさておき、模写だとかイタコ創作を通じて、
商業的な何か以外に何を得るのだろう?と考えてみました。

考えてみた結果。
・幼少期からの感覚の延長に浸り爛れるのか?
・幼少期の感覚を使って積み減らしてみるのか?
自分にとっては、その違いが問題だと気づきました。


ここで自分の取った選択肢は、後者です。

直ちに漫画を描くほどの思い入れやスキルがないので、
自分の人生でいちばんリアルで関わる時間の長い「絵師」を、
思い入れの対象としてものまねしてみることにしたということですね。


いま、少しでも絵をまともに描こうと思ってみたのは、
絵を描くことにのめり込んでいた時期があったからです。
(画材やらを買いに走ってずっと描いていた時期がありました。)

全く絵空事でしかなかった、でも参入コストの低い物事に、
「やりたかったから、物は試しだよね」という感覚で、
フレッシュにもう一度入り込んでしまうのも、
一度飽きた事実を積み減らしてくれて面白いんですね。



改めてこうやって描いてみて、気づいたことが2つあります。
・物事を分析的に見るだけでは、気づかないうちに過去に爛れることになる。
・物事を再定義したければ、わけのわからないデタラメな行動から攻める以外にない。

まず1つ目の分析的なお話。

描写するための分析とは、どうやって筆先にチカラを入れて線を描けばいいのか、
画材に何を使えばいいのか、そもそもどこから描いたらいいのか、
そもそもどんな印象を与えるのか、という表現の話に落ち着きます。

分析ばかりしていると、知らず知らずのうちに「分析のための分析」という、
知識なくして会話のない、空虚な流れを作ってしまいかねないんです。

そうなると、結局は同じコミュニティで同じ物事を繰り返すだけになっちゃうんですね。
現状の知識や発想からはみ出ることが、どう頑張ってもできないので。
(そもそも頑張れば頑張るほど、同じことの繰り返しになっちゃいますけども。)


で、2つ目の再定義のお話。

数年でも十年でもほったらかしていた何かを拾って、少しだけ行動して、
わかりやすい言葉で表現することで、再定義の入口に立てます。
それは「共感」だからです。

ふとそれに気づいたツイートがこちら。
ウェブで共感を集めている人たちが、ただ単にヘンなことをするだけだったり、
呪詛を吐き出すだけだったり、自分の人生を生きよう…という流れを作っていたりするいっぽう、
そこにあるヒエラルキーや知的好奇心の無さや自由の無さに、全く共感できない自分がいました。

いっぽう、それを上書きしてしまうような共感できる人たちが、
じわりと出てきていることに、ひとつの流れの移り変わりを感じました。

だったら、自分の好きなものを使って積み減らしてしまおう、
本当にやりたかったことをやってから死ぬようにしよう、
と思って、ふらりと描いてみたわけです。


これくらいサクッと動いてみたほうが、ネタとしても自分としても面白いよね。