「投資と課金」の扱い方

daily0 本音たち。

投資はリターンがある。

課金はリターンがない。
いずれも気分がよくなるもあれば、そうでないこともある。
一番良いケースは、気分がよくなってリターンがあることだ。
アウトプットするための仕組み作りを誰かにまるっと握られていると、
気分がよくなったとしても、アウトプットがしょぼいままである。
この場合、まともなリターンはおぼつかない。
ギャンブル産業なんかがこの典型例だよね。
これと逆に、クラシック音楽や美術への傾倒は課金とはあまり言わない。
それだけの歴史的な価値があるからなんだよね。
(ただし、いわゆる「クラオタ」の人たちの心理は課金と同じかもしれない…!)
要は、時間やお金を使い散らしてしまうと、課金で終わってしまう。
一定額を散財することも、経験を高める方法のうちなんだけど、
これは同じ課金の繰り返しを自己正当化することに使われかねないよね。
「自分のアウトプットが今までの枠を超えてもっと面白くなって付加価値が増えた」
とすれば、それは投資ということだよ。
アウトプットのルール決めや情報収集の独自性を他人に握られていたら、それは課金止まり。
結局、本を読んでアウトプットに活かすことが一番の投資なんだよね。
遠藤武(えんどう・たける)
グロースハッカー。

↑詳しい自己紹介は上記リンクを参照。

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