「カリキュラム」の扱い方

daily0 本音たち。

カリキュラムって、どこかで邪魔になるときが来るんだよね。

カリキュラムとは、1人の先生が30〜40人のクラスを受け持ち、
数年がかりで教える上での理屈というだけでしかない。
知的好奇心や、ひとりの人間にフィットしないことなど、よくある話だ。
大人数のカリキュラムでダメだったというなら、
自分だけで本や漫画や動画や資料集やコンピュータを通じて学ぶことを試してみよう。
世の中には、授業程度ではカバーしきれないほどの知識の切り口が溢れている。
自分にフィットした切り口を見つけずに、頭の良し悪しを決めつけてしまうのは、
もったいない以前に、そもそも明らかな知的怠惰でしかない。
知的怠惰で卑屈になることを選択して、嫌な思いをし続けることも、また人生だ。
でもせっかくなら「そもそも知ることは楽しい」ということを知る道を選択するほうが楽しい。
生きることを自発的に楽しむようなカリキュラムは、
自分で組み上げる以外に存在し得ないんだよね。
遠藤武(えんどう・たける)
グロースハッカー。

↑詳しい自己紹介は上記リンクを参照。

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