「感受性」の扱い方

daily0 本音たち。

どうしても眼の前の物事に反応してしまって、
議論したり言い返したりと、
居ても立っても居られなくなってしまうことがある。
(人と状況によっては、暴力に訴えることもあるだろう。)

現時点の感受性から眺めれば、
それは生来持っている感性かもしれないし、
それは後天的に鍛えた悟りかもしれないし、
それはストレスから来る得も言われぬ反応かもしれないし、
そのスナップショットでしかない。

いずれの理由にせよ、このような感受性を武器にするには、
「敢えていちいち反応しない」ことを自分に堂々と許可してあげるといい。
敢えていちいち反応せず、徹底して外から眺めて、
行動の材料にしてしまえばいいのだ。

この場合の行動とは、リスクヘッジをしつつ突然実行してしまうことでもあり、
単に知識を集めることでもあり、知識を集めた上で懐疑し取捨選択することでもあり、
知識を徹底して集めた上でそれを打ち捨てて表現することでもある。

知識を集める(集めた上で知識の一団を打ち捨てる出口戦略を含む)ということが、
心象風景に動きを出すことにつながれば、それでいいのである。

感受性のスナップショットを大事にしながらも、
そこにシナリオを書き加えて動きを演出することは、
実は「監督の視点からの許可の出し方」だ。

ちょっとしたことを気にする自分を肯定しながらも、
物事に知識をぶつけて(ときには得た知識を放り投げつつ)、
徹底的に上から見下ろすくらいでちょうどいいんだよね。

遠藤武(えんどう・たける)
グロースハッカー。

↑詳しい自己紹介は上記リンクを参照。

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