なんて名前?

名前:はこ


東京都出身。
教養やさん。
幼少期を千駄木(谷根千と呼ばれるエリアの一角)で過ごしました。

今までをざっくり振り返って書くと、こんな具合です。
 
小学生まで

東京都文京区の端っこで、文化に囲まれながら過ごす。
両親が食に気を配ってくれたおかげで、
最初に読めるようになった漢字が「化学調味料」だった。

父が技術者だったため、家にMacPlusがあった。
Macplus


そして両親ともに、本も漫画もアニメもハマり込んでいた。
いわく「赤塚不二夫と手塚治虫は教養だよ」と。 
面白い話題には事欠かなかった。


知人に美術家さんがいたり。

親に連れられて、とある市民科学者さんのデモに参加したり。
高木 仁三郎
岩波書店
1999-03-19


高木 仁三郎
岩波書店
1999-09-20






「学ぶことって何なの?」「働くことって何なの?」
「大人は世間を本当に分かってて日々過ごしているの?」
と感じ始めたのも、確かこのくらいの時期。

同級生の親御さんに、
「谷根千」をという名前を浸透させたノンフィクション作家さんがいます。
小さい頃によく遊びに行きました。
森 まゆみ
晶文社
2015-07-17






その著書『ひとり親走る』に、
当時の自分の風景が、自分含めて、
そっくりそのままパッキングされる。

あまりにも具体的、社会的すぎて、
ここからいろいろ考え出さずには居られなくなる。

転居先が荒れていた

小学校卒業と同時に谷根千を離れ、埼玉県南部に転居。
新興住宅地の中学校はものすごく荒れていて為す術も友達もなし。

ネット環境があったおかげで、
数少ない友達とゲーム三昧しつつ、
ゲーム攻略のウェブサイトを作った。

でもものすごく荒れていることは変わらず。

「このままじゃ殺される」

そう感じるくらい荒れていた。

ヤバイ!と思って受けた中2の秋の模擬試験が散々な結果。

「このままじゃ、殺される前に自殺しちゃう」
「それどころか、社会に居場所がない!」

そう思っていた矢先に、偶然にも親が渡してくれた本がこれ。


この本のお陰で、勉強する理由がわかり、
中2の秋の偏差値45が、
中3の秋に70くらいまで跳ね上がり、
何とか危機を脱する。

自由って何さ?

母親が出た都立高校に行きたかったけど、
住所が都外だったため、受験すらさせてもらえず、
知らず知らずに鬱屈。

選んだ都外の公立高校は、
行きたかった都立高校と同じく自由だった。

私服通学で、茶髪や金髪にしながらも、
吹奏楽部で全国大会に出ちゃうくらいに自由
(あんな厳しい部活だのに、周りはどう思っていたのだろう)
吹奏楽
ビクターエンタテインメント
2000-11-22


自由すぎて当局漫画家さんから目をつけられて
バッシング
されるくらいこれまた自由




勉強を全くしなくなるくらい自由。  

生き方ってなんだろう?

もともと工学部で無線通信工学を学ぼうと思っていた。

しかし、父が技術者だったこともあり、
「身近に無いものがほしいなぁ」と思い、
「理工系だけしか出来ない場所」に進む気がなくなった。

部活ばっかりだったので、
400人中390位の成績から大学に全落ちして一浪決定。
これじゃダメだと思い始める。

自由は自由でも、
「主体的に生きるための自由」
が欲しくなり、
理系も文系も関係ない教養学部に興味を持つ。

合格して入学すると、ひたすら本ばっかり読み出す。

哲学史や科学史や数学史を知った頃、
理系と文系の区分けにハナっから疑問を持っていたため、
その橋渡しとして統計学を勉強しだす。

政治が気になる!

と思ったら祖父が政治家の先生に会わせてくれた。

この人すごい!と思った著名なブロガーさんが、
父親と仕事をしていたということを知った。

これに限らず、気になったものにあまりにも簡単にアクセスできそうなことを知り、
じゃあ自分って社会でどんなオリジナリティを出していけるんだろ?
と思い始める。

大学の後半、いろいろ行動しすぎて考えすぎた。
そのせいか体が動かなくなり、半ひきこもりになる。

面白ければそれでいいんじゃない?

たまたま2ちゃんねるで大学の先輩と知り合った。
フリーで仕事をもらい、アナリストという言葉を知った。

卒業後は祖父の仕事を手伝いつつ、
祖父の逝去を機にアナリストとして職に就いた。
数字(統計モデルや財務会計モデル)を作って売り歩いた。

誰でも知ってるレベルの企業さんばっかり相手にした。
若手から中堅から経営層・OBまで相手にした。
官公庁や中央銀行や最大手から孫会社から、
自営業や外資企業まで相手にした。

2011年3月11日の震災で「こりゃヤバイ!」と思い、
長崎に転居して財閥系企業に入ってみた。

その後に「やっぱ都市圏だなぁ」と思い、
また都市部に転居して外資企業に入ってみた。



…ふと、幼少期から知っている人たちが、
面白いことをし続けていることに気づく。

記憶のフラッシュバックが多い性格だが、
さらにはっと気付かされ、
「それなら、もっともっと面白く生きてみようじゃないの。」
と、原点回帰する。

そう思い、
「教養やさん」という肩書きで実験をしています。 
長崎市のスクールにこバニィにもたまに顔を出しています。