「嫌われること」の扱い方

daily0 本音たち。

実のところ、誰かから嫌われることって、

自由を得られるチャンスなんだよね。

鍛えることのきっかけにもなるし、

穴を埋めることのきっかけにもなるし、

実は気にする必要のない物事の断捨離にもなる。

さっさと嫌われて、どうでもいい物事から
距離をとって外部に出て居場所を作ったほうが楽
ということだ。

いっぽう「自分は大多数と違っている!どうしようもできない!

という具合に、自分が自分から嫌われる自己嫌悪感が出てきたとしよう。

このとき、自己嫌悪感をきっかけに変容するという発想を

持てばいいのであって、同じくどうでもいい物事から外部に出るだけでいい。

自分の例をl正直に白状すると、未就学児だったころから、小学校・中学校・高校くらいまで、

社会生活で居場所があると感じられるような実感は、自分には全くなかった。

そのかわり、本と音楽とゲームで得られる、感覚的な居場所に常に頼ることができた。

今でも感覚や知的好奇心を鈍らせずに来られていると実感しているけれど、

感覚的な居場所の中で、自分を徹底的に守ることで、

却って自分から徹底的に攻めることができているためだ。

何かしらの外的な物事に嫌悪感を抱いた場合や

「これ明らかにおかしいよね」と感じたとき、

論点だけをすくい取り、アップデートの上書き保存を楽しめるようになった。

要は、守りと攻めのおかげで、問題の論点だけに集中することができるのである。

これもひとつの自由のあり方だと確信している。

早々に嫌われてしまうことは、

自分を好きになって活かし続けるチャンスを、

いくらでも得てしまうことなんだよね。

遠藤武(えんどう・たける)
グロースハッカー。

↑詳しい自己紹介は上記リンクを参照。

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