ウソの目標を立てず、素直に挑戦しよう。
例えば、受けたい志望校は、素直に受ける(大学受験の場合はリミットを決めて浪人や再受験する)。
「こうしたい!」という自発的な選択肢が制止されると、行き先は生き地獄しかなくなる。
自分の場合、幼少期〜小学生のときから行きたい都内の高校があったが、隣県に引越した関係で受験すらできなかった。
隣県の地域で似た校風(私服校)の学校は、レベルを1〜1.5段階下げざるを得ないと知り、仕方がないので徹底して前向きに「ウソの目標」を第一希望にした。
制度の都合で、試験を受けることすら許されなかった事実を、徹底的に前向きにごまかした。
前向きとはいえ、ごまかしたものだから、地域の違いとレベル差があり、人間関係で話がまったく噛み合わず、誤解ばかりで最低最悪の環境だったことは言うまでもない。
(似た境遇の超少数派ひとりふたりとはとことん仲良くなり、小学生のときに挑戦を断念した楽器にどっぷり浸かって、大学受験で自分の感覚と居場所を取り戻せたのは、とても幸運だったが。)
時が経ち、相談を受ける側に回って、
「親が受験を(上京を/進学を/浪人を)許してくれなかったので、しぶしぶウソの目標を立てました…」
という状況に傷つく人が、かなり多いことに気付かされた。
さすがに私の制度的なケースとは異なる状況ばかりだが、挑戦すらできず周囲に強制された「ウソの目標」では、
自分の人生を生きていない「生き地獄」として共通していた。
現実解。
「あのとき、ちゃんと(もっと)〇〇しておけばよかった…」
このセリフを、自分の人生からひとつひとつ消していくことが、目標の立て方の基本だ。
大失敗してもいいし、勉強に限らず大失恋してもいい。
自分で「こうしたい!」と心底感じたことは、早め早めにちゃんと失敗しておかないと、成長どころの話ではなくなってしまうから。
追記。
この「ウソの目標」を強いられた大失敗があったからこそ、
「二度とウソの目標で動いてやるものか!」と誓いを立てられた。
その誓いがあるからこそ、物事には格式があり、勝ち続けるポイントは世の中に必ずあり、また超優秀な層であってもその中で多数派になると凡人落ちする事実にも気づいた。
壊滅的な大失敗を10代で経験した結果、勝つためのポイントを見定めれば実はプラスを作れる!という、素晴らしい答えが既に手の中にあった。
boxcox.net、遠藤武。