経営 その17 〜 消費と投資。

daily1 商い。

何かにつけて「無理かもしれない」という言葉や後悔から始まったり、

安っぽいものばかりを扱ったりと、消費を強いる話題ばかりの時は、
何かに煽られ、言いたくないことを言わされていないかどうか注意してみよう。

この具体例。
ギャンブル、お酒、たばこ、偏差値や受験結果へのネガティブで疑いのない視点、
少額の補助金、中途半端な投資や資産運用、生半可な税金の知識、
マルチ商法、煽り記事ばかりのメディアなどが挙げられる。

こういった煽り情報のウラには、時間と心の消費を強いる仕組みがある。

これを強いられると、自由がなくなり、素直な懐疑心を歪めることになる。

そもそも、常識を知っていることは良いことである。
常識知らずはただの無法者に過ぎないのであって、
常識を疑う自由などいくらかかっても得られない。

無法者は、表面上どんなに強くどれだけ目立とうとも、
誰かに撃ち殺されることに怯え続ける弱者でしかないためだ。
だからこそ、自分に都合の良い情報を流して喜ぶしかない。

他方、生半可な知識で消費を強いられるのは、
どこにも自由のないただの多数派だ。
メディアの情報に流されて人生を終える層でしかない。

無法者と生半可な常識人、どちらも本質は同じ「大衆」だ。

このどちらも、大したことのない財物の消費を強いられているか、
あるいは時間や精神や知性の消耗を強いられていることで、共通している。

現実解。
常識の中に自由を組み込む、そのための自由があれば、
物事は消費ではなく、投資に置き換わる。

このとき、どんなにレベルの低い物事でも、
「ああ、これはレベルが低い。だからこうやって上位互換できるよね」
という発想が、常識と自由の組み合わせで成立する。

レベルが低い物事を見て、感謝できるようになったら、
即解決していると言い切って差し支えない。

..遠藤武

遠藤武(えんどう・たける)
グロースハッカー。

↑詳しい自己紹介は上記リンクを参照。

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