経営 その18 〜 弱者と成長。

daily1 商い。

「弱者をつけあがらせる」という視点がある。

これは、自称強者・自称少数派という本質的な弱者が、
多数派を弱者に仕立て上げ、我田引水でねじ伏せたフリをしているだけだ。

本音では、多数派を心底恐れているに過ぎない。

この「フリ」の例を挙げよう。

組織や企業で言えば、上意下達が成り立つのは、
単に階級や職位のおかげでしかない。

社会全体で言えば、強者と弱者が成り立つのは、
持っている知識と応用力の量と質でしかない。

要は、いくらお金や知名度がたくさんある少数派の側としても、
それに文化資本や、知性や自由や、立ち居振る舞いの良さがなければ、
「いつまで経っても、本質的にはナメられる弱者のまま」ということである。

自分の実力をはるかに超えて稼いでいるような人が、
どこかおどついたような不安な顔をしているのは、
答えがない物事に答えを出すための知性が備わっていないためだ。

経済的な成長は、文化的・精神的な成長に伴わなければ、
確実にナメられることを、言語化できずに肌で気づいているのである。

こういった方々は、率直に言って、個人的には好きで応援したくなる。

「多数派でないからどうしようもない」
という声なき声があるからこそ、その悩みや、知識や経験の偏りが、
突然思わぬところで足元に引っ掛かるのである。

「多数派だからどうしようもない」と話を終わらせるのでは勿体無い。

多数派を堂々と自認して絶望出来ることは、
実は多数派から抜け出すためのきっかけづくりだ。

自分の弱さがわかっている人の強さは、捨てたもんじゃないよ。

そもそも生来の多数派であるような人は、
自分が多数派であることにいちいち絶望などしないし、
自分の置かれた状況に疑問など一切持たないよね。

現実解。
まずは自分の弱さを認めて、そこから策を考えればいい。
これは少数派の人にとって、むしろ盲点であることが多い。

また、多数派であることも、知識の数も、
一定の量と質を超えて向き合い続けていれば、
実は一つの知性を導き出せてしまう。

「数の暴力」とは良く言ったもので、
ビジネスにせよ民主主義にせよ知識にせよ、
結局は、自由自在に増え続ける数の多さに勝てないんだよね。

..遠藤武

遠藤武(えんどう・たける)
グロースハッカー。
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■遠藤武のやっていること■

・経営トップ向けに「仕組み化」のプライベートアドバイザリーを手がけています

・中央経済社『旬刊経理情報』誌にて、仕組み化とデータ分析に関する見開き2ページ連載記事を、2022年7月より月2〜3回ペースで執筆しています
(2024年8月に50回を超え、書籍化企画を進めています)

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