匿名。

daily0 本音たち。

どんなにアウトプットしようと、
どれほど質を上げて数を多く世に出そうと、
全くの匿名から、ふと出せる視点に勝てっこない。

そう思っておける余裕があるほうがいい。

もはや繰り返す必要も無いけれど、
きょうび広告・宣伝は思い切り嫌われる。

「お前向けにカネをかけて広告を作ったから、四の五の言わずに買えよ」
なんて言われたら、嫌になるに決まってるよね。

もっと言うよ。
コソコソと保身・ポジショントークに走る広告・宣伝だらけで嫌われることと、
真正面から素直に挑戦して「常識知らず!」とバッシングを受けることは、
言うまでもないけれど、全く異なる。

この区別は、見聞きする全ての物事において、
自分の視点で真っ先に区別しておこう。

これについて意見を発する際は匿名でも構わないし、
逆に意見を発さず、自分の脳内のみで言語化しておくだけでもOKだ。

言語化して知識を吸い上げられれば、
ポジショントーク程度で方が就くような物事は、
触れている時間すらもったいないと感じるようになる。

ふと出せるシンプルで素直な視点こそ、
何でもかんでも宣伝に走ろうとする今こそ、
実は価値が出る視点なんだよね。
この価値に匿名も実名もないよ。

寛容や自由に対し、寛容であることと、
不寛容や不自由に対し、不寛容であること。
難しいと感じるなら、これくらいから始めればいい。

匿名で語る自由は、当然のように存在する。

実名で次々と繰り返される特定の宣伝を、
匿名でもいいからふと放り出した素直な視点で、
上書きする自由は、当然のように存在する。

この自由を否定する意見は、
不寛容や不自由を煽るポジショントークだ。

繰り返すよ。
不寛容や不自由には、不寛容であっていい。
寛容や自由には、寛容であり続けよう。

自由で有り続けられて、
より納得が行くと思しきことを、知識から引き出していけば、
奇をてらわずとも自ずと抜きん出られる。

入口が匿名だとしても、
その先で自分の実名に自由と知性が跳ね返って来る。

このとき、実は匿名って相当メリットがあるんだよね。

遠藤武(えんどう・たける)
グロースハッカー。

↑詳しい自己紹介は上記リンクを参照。

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