答えがないところに答えを作るには、どうすればいいか。

明確な答えがない物事について、何らかの答えを見出したい。
そのためには、前例を知りつつも、いっさいの疑いを許さない前例主義には陥らない。
また理論上も実験上も合理性があり、可逆的(=戻ってこられる)なら、その方法を試す。
そうやって、答えを近似していくしかない。

「それは間違っている」と頭ごなしに言われてしまうような物事は、
往々にして、前例を調べ尽くされることなど全然ないし、
理論上も実験上も合理性があるか否かを問い尽くされることもない。

これはどういうことかというと、「疑い不足」だ。

猛烈な批判を食らう物事が、単なる前例の踏襲による否定なのか、
メカニズムや事例まで出し尽くした上でのまっとうな批判なのかは、
実のところ、あまり問われることがないのである。

そもそも、答えが存在しないのだから、
疑いながらも肯定していくしかない。

間違いから学ぶことが一番求められる、
そんな離れ業なんだよね。

..遠藤武

堂々巡りが起こるのはなぜか。

いつもの状況に、根本的な疑いも持たず、
なんとなく慣れてしまっているから。

堂々巡りとは、辛くてしんどい状況にも関わらず、
けだるい空気を選んで群がっているということ。

選ぶ理由が仮に消極的なものだとしても、
現に決めているのは自分自身だ。

どんなボキャブラリーを使っているか、
どんな物事にどう反応しているか、
一つ一つ丁寧に回顧して、
今までと別な選択肢を選んでいけば、
堂々巡りを少しずつなくせる。

せっかくなら、「こうありたい」と思う自分を狙って、
ふさわしい言葉や知識や立ち居振る舞いで満たされたいよね。

..遠藤武

勉強しても、活躍できない人がいるのはなぜか。

勉強が、行動をパターン化させてしまうことが原因だ。

ただ与えられた課題をこなすだけだったり、
ただ誰かが作った問題を解くことは、基礎の習得段階では良いにせよ、
ずっとこれだけこなすと失敗から学習することができず、
行動が狭められてしまうのである。

また「活躍」とは、相対的に他の人より目立った実績を残すことにあり、
・所与の競争で勝ち続ける
・負けや失敗をヒントに誰もやっていないことを果たす
かのどちらかで成立する。

単に誰かが作った問題を解くだけでは、
所与の競争に明け暮れるのみで、
「誰もやっていない自分だけの問題提起から動く」
という発想が、どうしても欠けてしまう。

これでは、競争を強いられるだけで、
別ルートを作って活躍することが出来ない。

今まさに「失敗した」と実感している人は、
パターン化からはみ出して活躍するための、
昇格テストを受けているのである。

失敗から、既存の問題を再定義したり、
そもそも誰も目を向けていなかった問題に目を向けることが、
「別ルート」からの活躍に必須だ。

むしろ、ものすごい失敗から学ぶほうが、
かえって世間から「第一人者」として認められてしまうんだよね。

..遠藤武

心の平静を保つには、どうすればいいか。

いちいち物事に名指しで反応するのではなく、
心が乱れる対象を分析して、材料にとどめればいい。
そうすれば、対象は名無し止まりで終わる。

「大多数は、こういうものだよね」
「この人は、知識や経験が足りないよね」
「これは売り込みがしつこいだけだよね」

このような感想を、ひとつひとつ用意する。
一人学ぶ理由を、ここに見出してもいい。

「何が足りないか」「何が原因か」
のログ取りだけに集中しているほうが、
孤独を楽しんで心穏やかに事を運ばせられる。

いくら間違っても、そこから学び直せばいいし、
いちいち恥じる必要もないし、
より素直になればいいだけの話だ。

それでも心がもやっとするなら、
素直に堂々と負けを認めてしまおう。

これができれば、素直に負けを認められない人は、
心の平静を集団心理や無知で保とうとすると気づける。

訴訟をチラつかせたり、素行不良だったり、
知識不足を放置していたり、
お友達どうしで群れていたりするのが特徴なんだよね。

..遠藤武

格差を超えるには何が必要か。

成長のための、格差の扱い方。
格差の存在を素直に認め、感情的なマウンティングや卑屈に走らない。
格差には、必ず矛盾点やデメリットがついて回ると知る。
矛盾点やデメリットのない格差は、そもそもフィクションだと腹落ちする。

楽しく学び続け、楽しく行動し続けることが、
格差を超えることの基本であるが、
上記のような格差そのものの扱い方を知っておくと、
いちいち格上・格下を巡る言論に感情を乱されずに済む。

優等生というだけで歩んでしまった失敗のないルートや、
コンプレックスの裏返しだけで果たしてしまった成り上がりは、
後々でとんでもない失敗を引き起こしてしまう。

官公庁務めを経て役職をもらい、50〜60歳を回って天下りした先で、
経営の不備をその組織の発起人にしつこく噛みつかれて胃を痛めることが、
格差の上位だと本当に言えるだろうか。

無学から経済的に成り上がったものの、お金以外は誰からも尊敬されず、
取り巻きに対して頭悪く見栄を張りつつ、私生活は不健康でいる人が、
格差の上位だと本当に言えるだろうか。

どんな人や物事にも、必ずこのような矛盾がある。
それを真正面から直視してこそ、自己愛を保てるのである。
これは成長の基礎を保つために必須の視点だ。

他人のアラ探しや貶しに走らず、
純粋に「人の振り見て我が振り直せ」を積み重ねて、
自分で自分の成長を作ることに集中できるんだよね。

..遠藤武

怪しい物事と、そうでない物事。違いはどこにあるのか。

一意に定まらないはずの物事を、
強引に一意に定めようとする人は、
往々にして怪しいとみなされる。

経験ばっかりに囚われ、素直さを欠き、
それ以上の思考を広げるための余白が、
どこにも確保できなくなってしまうためだ。

不自然な言動やボキャブラリーは、
怪しいと感じる一番の材料である。

こういう人の特徴として、
言っていることの文脈や知識が、
理にも情にもかなっていない点が挙げられる。

まずは、
経歴や嘘に騙されてないようにして、
虚心坦懐に眺めてみよう。

怪しいとされる人は、
不用意に小難しい単語ばかりを使うか、
不用意に物事を単純化しすぎてしまい、
力みがちで粗が目立ってしまうと気づける。

そんな怪しさを排除して、
独自の発想をアウトプットしたいなら、
「言語化されていなかった物事を言語化する」
くらいのスタンスで十分なんだよね。

怪しくない、自然な創作というのは、
力んでいないし、仮に力んでいたとしても、
それが「ホラ話」「フィクション」だとわかる。

ホラを吹いてみるチカラが欲しいなら、せめて、
「この場合、嘘にならないホラとしての物事の見せ方って、どういうものだろう?」
ということに注意してみよう。

人によっては、頭の天辺から足の小指まで、
思いっきり自然な天然物のお芝居漬けということもある。

すべての物事が、ある種のお芝居かもしれない。
そんな解釈の余白ができたら、違いを見分けるチャンス。

..遠藤武

そもそも人権が重要なのはなぜか。

「物事を自分で決める、という点を、他人に認めさせる」という意味がある。
シンプルに言えば「あなたには奴隷でない自由があるんだよ」ということ。

最近、「人権って実は現代人にいらないんじゃない?」という思考実験ぶった言説を、
ウェブや本で見かけるけど、これは思考実験ではなくただの勉強不足。

人権をなくしたら、思考実験なんて一切できないし、
自分で自己決定を下す自由がなくなることに気づこう。

..遠藤武

問題解決だけでどうにもならない問題は、どう解決すればいいか。

問題解決が可能ということは、そもそも、
材料や前提条件が見えているということである。

問題解決だけでどうにもならないような問題というのは、
そもそも、材料も前提条件も、見えているようで、
ほとんど見えていないのである。

これを「染み付いたクセで無意識に目を塞いでしまっている」と仮定しよう。

このとき、誰かになりきって、出来る範囲で言葉遣いを変えたり、
読む本の趣味を一切変えたりして、今の自分にはない状況を演じるのである。

だいいち、自分が自分であることを純朴に信じ込んで、
自分の声なき声や想像を黙らせてしまうほど、人間の思考は単純ではない。

演技や詩歌から感銘を受ける程度の感性があるのならば、
自分の声なき声を言語化して、物事を再発見するためにも、
文芸的な「なりきり」から、発想を借りればいいのである。

合理的な発想に溺れ、なんとなく目の前に浮かんだ不快感を、
そのまま不快感と受け取って放置してしまったり、
勝手に恐怖におののいて騒ぎ立ててしまうというのは、
中途半端な論理から非論理的な何かを招いていることに他ならない。

そもそも、非論理的で不条理な想像力から論理を積み重ねることは、
立派に論理的な営みであり、ストーリーテリングには欠かせない。

問題解決だけでどうにもならない問題は、
材料や前提条件を作ってしまうことが鍵である。
まずは自分自身の少し気恥ずかしい声なき声に耳を傾け、
勇気を出して虚心坦懐にそれを言語化するだけでいい。

そもそも、これは通り一遍の知識ではないのだから、
勇気なんて大それた言葉に頼らず、もっとカジュアルに試したほうがお得だ。

どうせ気恥ずかしいなら、内心くらいは堂々と恥をかいたほうが面白いんだよね。

..遠藤武

常識を疑って価値を作るためには、何が必要なのか。

間違いからも正答からも、徹底的に学ぶ。
間違いや思い込みから、新しい価値を作ってしまう。
人生のどこか早いうちに、議論と対話に徹底的にふける。

これを孤独に繰り返そう。

短絡的な経済的利益を追い求めると、
ありきたりな正答に気を取られてしまう。

思い込みばかりで正答を知らずに突き進むと、
もし価値を作れたときに、ただの一発屋だとか、
他人をうらやむだけの皮肉屋だとか、
小山の大将のような状況に終止してしまう。

常識を疑うことばかりがもてはやされると、裏取りをしない人が多発する。
裏取りって、常識の疑い方(=先行研究の確認)なんだけどもね。

..遠藤武

ルール決めが重要なのはなぜか。

ルール決めが出来ると、ルールを「いやいや守らされるもの」で終わらせることがなくなる。

時代や状況にそぐわないルールは、順次改正すればいい。
そのような許可を、自分に対してカジュアルに下すだけで十分だ。

ただし、ルール決めそのものが不利な状況を放置するものであれば、
まずはルール決めのルールを分析して、再構築する必要がある。

ルール決めに関われば、ルールの隙をついて、自由や人権を簒奪したり、
暴力を肯定するものがないかどうか、嫌でも気にすることになる。

これを文字通り捉えてしまうと、何やら不公正で物騒な響きだが、
逆に言えば、誰も手をつけていない抜け穴の要素を見出し、
それを公正なチャンスに転換する入り口に立つことができるのである。

また、ルールの前提を考えるというメリットもある。
自分はどうありたいか、どうあるべきか、目指したい方向性は何か、
といった欲求や要求に、虚心坦懐に向き合うきっかけを作ることで、
自分に何が足りていて、何が足りていないかを見出せる。

具体的に自己決定していくことが、ルール決めの本質なんだよね。

..遠藤武