優秀な人とはどんな人か。それは時代によって変わるのか。

特定の分野で抜きん出た人を、
優秀な人だとしよう。

このとき、自分自身を作り変え進化させ、
抜きん出た状態を維持できる人が、
優秀な人であり続けることができる。

評価軸は時代や文化によって若干変われど、
・知性と行動力と落ち着きがある人
・社会的地位の高い人
・継続的に実績を出せて稼げる人
・自分を抜本的に成長させられる人
と、要件の大枠は変わらない。

これらのいずれか満たしていない状態では、
一抹の胡散臭さを残してしまう。

具体的には、
自分の判断を他人に任せっきりにしたり、
せっかく立てた論が知識不足で中途半端だったり、
最先端ばかり追いかけて古典を適切に読んでいない、
という点が挙げられる。

現実解。
「不易流行」や「温故知新」の意味を、
改めて噛み締めてみよう。

SNSで何でも広告化した物事を流すようになって、
アウトプットの質が全体的に下がっている現状は、
実はものすごい大チャンス。

..遠藤武

悪い失敗とは何か。

悪い失敗とは、
「自責点でない、流れ弾のように食らった失敗」
だと言っていい。

例えば、自分の実績やスキルや可能性に比べて、
明らかにレベルがマッチしない学校や会社や組織や集団や人に、
うっかり同じ目線で関わってしまった状態が当てはまる。

収入も食生活も嗜好も思考も言葉遣いも、
何から何まで違和感だらけで、
専門性不要な環境での奇妙な失敗であれば、
「仕方ないから、そこからさっさと離れなさい」
という、天の声だと考えよう。

「えっ!悪い失敗って、学び直せないの?嫌だなあ……。」
もしあなたがそう感じたとしたら、
これは良い疑問の持ち方だ。

悪い失敗とは、
その起こる前提を次々にゼロにして行けば、
良い失敗としてしっかり学び直すことができる。

具体的には、人混みを避けたり、
違和感を抱いたらさっさとその場から撤退したりと、
ちょっとした素早い工夫で出来ることが多い。

要は、自分自身の感性を鋭く磨いて行動し、
二度と繰り返さないようにすればいいのである。

気持ちの上で、どうしても納得が行かない失敗なら、
あなたのことを絶対に理解してくれる人と一緒に、
徹底的にこの失敗を笑い飛ばした上で、
二度と繰り返さないように仕組み化すればいい。

もし理解者である他人が誰もいないと感じるのなら、
まずはあなたの一番の理解者であるあなた自身に、
そんな失敗を思い切り笑いとばす許可を与えればいい。

実績を作る前でも、実績を作った後でも、
いち早く柔軟に笑い飛ばして学び直すために、
このように考えをアップデートしてみよう。

..遠藤武

良い失敗とは何か。

良い失敗とは、
「失敗から学び直しが効く失敗」のことである。

どんなに初歩的で無様で恥ずかしい失敗だろうと、
どう少なく見積もっても専門分野の失敗は、
すべて学ぶための良い失敗に当てはまると言っていい。

物事に真面目に取り組んでいるからこそ、
知らず知らずのうちに力みが溜まってしまい、
ありえないレベルの大失敗をすることがある。

これは要は、
「死ぬほど恥ずかしい思いをしたのち、
徹底的に休んで、超上から目線で、
自分で自分を眺め直してみなさい。」
という、天の声だと考えればいい。

スマートに表すとすれば、
「あなたは既に相当なプロなんだから、
プロとしてメタ的な思考をする資格があるんだよ。」
というメッセージだと言い換えて大丈夫ということだ。

一定レベル以上の人が壁にぶつかるのは、
自分自身の能力を桁上げするに際し、
それが次に進む上で必須の修行イベントなのである

どんなに恥ずかしく情けない思いをしたとしても、
そのためにどれほど鬱々としようとも、
歯を食いしばって堂々とし、ニッコリ笑って、
淡々と成すべきことをしていればいい。

本当にプロだと客観的に言い切れるなら、
単にそのように心がけているだけで、
「こいつはプロだな」と他者に抱かせる演出や、
「自分はプロだ」という心理的な所属を、確保できる。

実績はあるのに、どうも限界が来ていると感じるなら、
このように考えをアップデートしてみよう。

..遠藤武

失敗から立ち直れる人と、引きずる人には、どのような違いがあるのか。

実のところ、これには大きな違いはないと確信している。

失敗を引きずるというのは、次へのエネルギーを蓄えるために必要な役柄であって、
このときに無理やり「立ち直る」という理想形に勝手に拘る必要はない。

せっかく失敗したのだから、大恥を徹底的にかき、
その上で次への試みの数を淡々とこなして、
誰にも真似のできない異質な方向性を作ってしまえばいい。

そうすれば、引きずるエネルギーすら別角度から眺められる。

「立ち直る」とか、あるいはもう少し広く、
「成功」といった要素は、物事のほんの一面に過ぎない。

「あのとき失敗したからこそ、あれまでの延長線上にない今がある」
そんな言葉が自然と出てくることが重要なのであって、
大なり小なり失敗を数限りなく繰り返したほうが、
実のところ全てにおいて成長でき、お得ということである。

「成功した人」と何の疑いもなく祭り上げられてると、
おちおち失敗もできなくなってしまい、成長を妨げられてしまう。

あなたが「自分は成功した人でも何でもない」と感じるのなら、
それは失敗から成長して立ち直るチャンスをもらっているんだよね。

..遠藤武

物事を達成するために、我慢は必要か。

辛抱や我慢を否定するつもりはないが、
それに頼ってしまう時点で、ちょっともったいない。

まずは仕組み化するか、そもそも仕組み化を飛び越えて、
勝手に手や口や頭脳が動いてしまっている、
そのような溢れ出す自動化をはかる方が先だ。

これは厳密には、単なる自動化というよりは、
「我慢ができない」という状況のことである。

誰かに職務命令を下されるわけでもなく、
法的に果たすべき義務があるからやるわけでもない。
とにかく熱中する物事を見出し、
少しずつチューニングしていくことである。

自分の場合は、そのチューニングの過程で、
マーケットレポートを毎日書いてリサーチを重ね、
統計モデルや財務モデルを構築して売り歩いた。

その延長で、SCMやファイナンスや経営管理の経験と習得を経て、
ERPやBIツールやプロジェクトマネジメントの知見を用い、
一次情報による経営課題のあぶり出しや、戦略策定と遂行を経験した。

今思い返せば、ただ単に熱中できるフィールドに移り、
ひたすら我慢せず溢れ出すように動いていたに過ぎず、
その成果は、あくまで結果的にもたらされた物事に過ぎない。
(このスタンスは今も全く変えていない。)

我慢に頼らなかったおかげで、表裏や下心を作らず、
ひたすら愚直に物事を捉えることができ、
それが素直に成果として跳ね返ってきているのである。

物事の最初の段階では、エネルギーを多めに消費するため、
少々の我慢が伴うことは、何ら不自然ではない。

いっぽう、我慢に頼り続けではぎこちなさが残り、
かえって成果に滑らかにつなげることが難しくなってしまう。

実は、そんな人のほうが多いことを強調しておこう。

..遠藤武

瞬間的にイラッとしたとき、まずはどう平静を取り戻すか。

アウトプットのとっかかりにしてしまえばいい。
どんな苛立ちも、抽象化すれば情報への反応に過ぎない。
その反応を咀嚼・消化して、新たな情報へのエネルギーにしてしまおう。

イラッとした感覚がどうしても拭えないなら、
アウトプットだけでなくインプットも同時並行しよう。

心の機微を、先行研究に応じて言語化することで、
学ぶこととストレス解消とアウトプットを一致させられる。

そのように捉え直すだけで、
一般に忌み嫌われるイラッとする瞬間を、
愛おしくさえ思えるんだよね。

..遠藤武

アイディアを出すにはどうすればいいか。

先行研究や事例に、大量かつ網羅的に当たる。
自分自身にとって、ひっかかりのある物事にそれらを当てはめる。
上記2つにおいて、言語化されていない物事を言語化する。

この3つで、実はいくらでもアイディアが出せる。
これは、大学の初年度のプログラムで鍛える、
アカデミックスキルを簡素化しただけだ。

非日本語圏の人とやり取りする際にあまり感じたことはないが、
日本語圏だと、このような知的生産があまり重視されていない。

改めて今までを思い返すと、
日本語圏で経済活動にコミットする人は、
日々のルーチンワークばかりに囚われている。

そのせいか、他者を「疑うこと」と「認めること」にについて、
言語を伴って形にする経験が圧倒的に不足しているのである。

よく「論理的思考力」という言葉がやり玉に挙げられる。

これは実のところ、
「先行研究や事例や実証実験を網羅した上で、
物事を論理的に組み直し、語られていないことを語る」
ということに過ぎない。

シンプルに言い切ってしまうと、
言語による記述の話に終始してしまうのだ。

まだ語られていないからこそ、
疑うべき物事を疑い、認めるべき物事を認め、
言語化されていない物事をそのまま記述する。

アイディアは、作為的に出そうとのではなく、
知識のスキマから誘導すればいいんだよね。

..遠藤武

新たな物事に挑戦できるタイムリミットはあるのか。

根本的には、タイムリミットは「ない」と考えている。

舌先三寸を完全排除すれば、
タイムリミットは「ない」と断言するくらいの素直さがあって然りだ。
(実のところ、自分は極限までそうすることにしている。)

これと逆に、結果的にタイムリミットが生じてしまうのは、
特定の1つの分野に恋々としがみつき、
失敗から学ぶことができないという状況にある。

現状や組織や職務の常識に囚われ、舌先三寸を繰り返してしまうと、
無意識のうちに他者に忖度した模範解答探しに終始し、
自分が出した成果(=失敗+成功)と本音で向き合って、
十分に回顧する機会を逸してしまうのである。

この場合のタイムリミットの期間は、
大雑把に見積もって「10年程度」だと言っていい。
10年程度あれば、大雑把に見積もって、
小学校+中学校+高校や中学校+高校+大学をカバーできる。
また、大卒後10年ともなれば、
いっぱしに仕事の全体像や行く末を掴める人が多く出てくる。

この10年の間に、どっぷりとその期間の常識に浸かり続けてしまうと、
変わるきっかけを見出すのが億劫になってしまうのである。
結果的なタイムリミットとはこういうことである。

このタイムリミットを解除するには、
素直に負けを認めるか、素直に逃げてしまえばいい。

ふと納得して負けを認めるかもしれないし、
負けを認めるのに相当な年数を要するかもしれない。
逃げているようで、逃げることから逃げるかもしれない。

そういった怖さすらすべて、
素直に認めてしまえばいいのである。

その際も、わざわざ外に向かって、
「私は負けを認めました」などと言う必要もない。
まずは、内心の自由を徹底するだけで十分だ。

これは、次に向けて動く際の貴重な材料になる。
素直に負けを認めて逃げることに許可を出すことは、
負けを認めずに結果として悶々と逃げ回ることより、
明らかに自己肯定的で気が楽だ。

負けを思い切って素直に認めたからこそ、状況を客観的に眺められるのである。
だからこそ、素直に認めて逃げることさえ出来れば、負けを研究し、
次に向け根本的な勝ちを探りに動けるのだ。

このとき、新たな物事に挑戦するタイムリミットなど無縁になんだよね。

..遠藤武

高学歴にも関わらず、序列にこだわるコンプレックスが目立つ場合、何があるのか。

世の中の物事は、既成品である模範解答や序列だけで解決出来ると、
何も疑いもせず信じ込んでしまっている状況だと言える。

たとえ既成品であっても、知識を得ることそのものは、とても素晴らしい。
それは、外の世界へのアクセスの第一歩だからだ。

その次の段階で、外からインプットし、
かつ外に向けてアウトプットしていく、
知的生産の過程を踏みしめれるのである。
学問にせよビジネスにせよ、成長のカギはここにある。

ここまでで分かると思うが、
学歴とは姑息な目くらましに逃げるためのブランディングや試験対策ではないし、
あるいは「学歴の要不要や是非を問う」という安直な話をしろというつもりも一切ない。

包み隠さず言おう。
一定以上の学歴(同年代の上位数%)と同時に、
学歴だけでは得られない実績や知名度ありながら、
醜くわめき散らしていたり、やたらと卑屈だったり、
人の話を聞いているようで実際には行動出来ないというケースは、
物事や価値観に関し、知識や事例や行動を使って、
外の世界に踏み出す勇気がなかっただけに過ぎない。

学ぶことが人格陶冶や知的生産に関わることが一切ない、
クイズ番組の勝ち負けのような大衆娯楽で、
その人は動かずに立ち止まっているということである。

勘違いしないで欲しいが、
既成品である知識を得ることそのものは、非常に尊く、
学歴やそれに準ずる知識は確実に得るメリットがある。

物作りで言うなら、既成品があって、
初めてティアダウンやリバースエンジニアリングから学べて
その先の技術を作ることが可能になるのであり、
学歴や学問その「知識版」あるいは「知の高速道路」とでも言うべき存在だ。

ウェブから誰でも簡単にさまざまな知識を検索できる今では、
「学歴など要らない」という声が聞こえているが、実際は逆である。

むしろアナログかつ人格にくっついた、知性や知的生産スキルこそ、
真っ先に人間が真正面から取り組んで鍛えるべき技なのであって、
簡単にコモディティ化しない物事だと言っていい。

中身のない外面を吹聴して回ったり、マウンティングに走るのは、
外の世界へ踏み出す勇気のなさを認めない、目くらましに過ぎない。

勇気を持つには、学問や知識を通じた、
自分や外の世界との対話が必要なんだよね。

..遠藤武

そもそも、事務処理やバックオフィスはどう扱うべきか。

「人力の作業を減らすゲーム」だと考えよう。

支払いは、自動処理に変えてしまう。
手作業や手入力は、最低限しか行わない。
1つ手入力したら、その先で必要な形でデータが貯まるようにする。

Excel関数やコマンドプロンプトやプログラミング言語を駆使してもいいし、
クラウドサービスやapi連携サービス(ZapierやIFFFT)を使うのもいい。

もちろんアウトソーシングにかけてもいいが、
まずは「当事者であること」を考えよう。

技術面でも、事務処理面でも、
その分野の当事者であさえあり続ければ、
いくらでもアイディアが思いつく。

いっぽう、「外資コンサルティングファーム」を経た人でも、
こういう工夫を全くできない人が意外と少なくない。
お客さんに提案するのが得意でも、
実は当事者としてはからきしな人は結構いる。
その場合は、ユーザー側に立ってみるといい。

また、経理や総務といったバックオフィス経験者でも、
ユーザーとしての経験が仇となってしまうケースは少なくない。
「人力api連携サービス(=なんでも人力でやる人)」
の提供者という笑えないう状況はよくある。
その場合は、テクノロジーや業務フローや、
そもそも付加価値とは何かを知るといい。

何気ない物事も、立場を変えてみる。
そんな工夫を覚えておくだけで、
ちょっとしたことについて、
簡単に価値を出せるんだよね。

..遠藤武