月別アーカイブ: 2018年2月

「一般的知名度」の扱い方

まず「一般的知名度」は、「圧倒的多数派が表面的に知っているだけだよ」というバイアスがかかっている。これを肝に命じよう。

有名大学で言えば、東大京大(や地元の旧帝大・国公立大学)と、早慶あたりを除けば、一般的知名度は皆無だ。世界で活躍したり、卒業後の高待遇につながる大学など知られもしない。

企業で言えば、外銀や外資コンサルティングファームや外資IT企業などは、待遇と出身者のニオイを間接的に感じる程度だ。

資格職で言えば、医師はさておき、弁護士が関わる大手法律事務所や、公認会計士が関わる大手監査法人は、存在すら知らない。

いずれも、一般的知名度だけで生きる層が喉から手が出るほど欲しがる待遇へのコースが、上記に用意されているのに、だ。

このような残念な層の共通点は、
「一般的知名度がないに等しい=自分が知らないものには価値がない」
と思い込んで話を終わらせてしまうことにある。

端的に言えば、想像力や知識以前に、物事を知ろうとする姿勢がゼロなのだ。

この習慣で、本来取るべき選択肢や知るべき物事が見えなくなってしまう。不自由の始まりだ。

一般的知名度へ消極的に固執すると「どうせこんなもんだろう」という発想で終わる。

こういう「思考したふりの思考」は実にもったいないよね。

「踏み台」の扱い方

自分に起こったことの全ては「踏み台」である。

いじめだろうと、健康問題だろうと、離職だろうと、燃え尽き症候群だろうとも、果ては投獄だろうと、いずれも踏み台である。

世間一般に誇れる学歴や職歴は、この上なく立派な「踏み台の中のエリート」だ。

踏み台は「これだけは絶対に譲れない」という価値判断の軸となる。どんなに不遇なことであろうと、全ては文字通りステップアップに繋がっている。悔しさで尽きることなく泣きはらしたとしても、頑丈な(時に怨念混じりの)揺るぎない踏み台としての経験には、代え難い価値がある。

たとえ価値判断の軸が頑固であろうとも、時間の経過と共に、隘路に入り込んだ自分は少しずつ変わる。それにも増して、周囲の環境も変わる。この細かい変化をわずかにでも認識を出来たなら、価値判断の軸を再定義するチャンスが到来したことになる。

経験や学びから、価値やインサイトを生み出しつづけることは、価値判断の軸を再定義することだと言い切って差し支えない。大チャンスの始まりだ。

自分の半径数メートル以内での経験を話そう。かつてトランペットを習っていたときの話だ。

自分が大学生当時の師匠は、一流のトランペット奏者として名を馳せ、指揮者として頭角を表し始めていたが、既にまともな音が出せなかった。

局所性ジストニアと思しき症状で、突然音を失ったためだ。

とあるプロオケの首席奏者をつとめ、音楽一本でやってきた師匠は、音を失った直後「唇を切ってから死のうと思った」と語っていた。

後に指揮者として復活を遂げるまでは、苦闘の連続だったことは想像に難くない。

音楽の基礎があったからこそ、すべてを踏み台にし、新たな世界を切り拓けたと言える。

「いや違う。それはその師匠に才能や機会があっただけだ」と単に答える人もいるだろう。全くそのとおりだ。既に持っている軸やつながりを応用して、勝ちを見込んで、価値を作れる他分野に新規参入するだけでいい。師匠にとって、この時点で価値を出せる分野が指揮者だったというだけだ。シンプルかつ当たり前の話だと言える。

オーケストラ周りを客観的に見てしまおう。一兵卒でしかないトランペット奏者より、マエストロ(指揮者)としてのキャリアを積み上げることのほうがよっぽど価値がある。一般に、楽器奏者から指揮者に転校することは全く簡単ではないことも付け加えておく。

価値を出しながらハマり込めれば、怨念だろうと面白みだろうと、単なる好奇心だろうと、理由や分野など何でもいい。むしろ、自作の立派な踏み台から飛んだ先にこそ、人生の時間を注ぎ込む意味があるものが見つかるのだ。踏み台からジャンプした先で、異次元空間としか呼べない絶好の状況に飛び込めるチャンスは、いくらでもある。

まずは、立派でオリジナルな踏み台を作り上げた自分自身に感謝しよう。踏み台は逃げもしないし壊れもしない。

しかも、状況によっては貸し出すことで、そのまま換価できる。組み合わせて、新型の踏み台を作ることだって可能だ。

あとは、何度も試行錯誤し、シンプルかつ当たり前の組み合わせを通じて、飛び上がってみればいいだけだ。

実のところインサイトとは、踏み台作りから始めて飛躍する、知的スポーツなんだよね。

(謝辞)
送って頂いたご経歴から、とんでもなく立派な踏み台をお持ちだと確信しました。
私のインサイトに感動を抱けるのであれば、新たな世界は遠くないと信じます。
ありがとう。

「知識」の扱い方 その2

知識がないが故に失敗する。これは99%以上の人に当てはまる。
知識があるが故に失敗する。これは非常に特殊な事例だ。

前者は、さっさと学んで知識を組み合わせて、知恵をつけてしまえばいいだけだ。
後者は、今の自分の器を叩き割って、新たな器を作り、包容力つけてしまえばいい。

ただし、この二者への対策の本質は、全く異なるようで実は共通している。
「自分にはまだ知らないことがある」と心底ショックを受けることだ。

知らないなりに学んで、
知らないなりに有効な洞察を作って、
知っているなりに知らない世界があることを認める。

そう心がけて、頭にいい汗をかいてしまえば、カラダもスッキリするんだよね。

このとき、知識を扱うことはある種のスポーツだ。

「謙虚」の扱い方

謙虚とは、物事を腹落ちして自分の器をグイグイと自律的に広げることだ。

決して「謙虚になれよ」と他人から言われて従うことではない。
他律的な謙虚さなんて、ただの卑屈というだけだ。
かといって、ただ自律的であればいいというわけでもない。

謙虚について、問題点を二つ挙げよう。
(1)「自分は謙虚だ、自分の器は次々に広がっている」と簡単に言い切ってしまう問題。
行動するだけで、中身がないのにどうにかなってしまった人は、かなり危ない。口先だけで、実態は全然謙虚ではない。自律的であっても、中身と繊細さを欠いてしまえば、スタート地点に立つ前に自滅するか暴君と化してしまう。

(2)上には上がいることに惑わされて、卑屈になってしまう問題。
例えば、学歴(投資銀行が出した大学のリストなんかも参考になる)、人文科学・自然科学・社会科学、音楽、美術、スポーツ…。
こういった分野でのコンプレックスは、けっきょく自分はどうしたいの?という問いがなく、他律的に自滅している。

(1)と(2)は、どちらも「知ったかぶり」として共通しているんだよね。

自分の器をグイグイ広げる、自律的な謙虚とは、こういう知ったかぶり状態を解消させる発想だ。

知ったかぶりではなく、
「知らないなりに、知っている人を唸らせるだけの知識と知恵を持とうとする工夫」
を重視してみるといい。

そうすれば、謙虚になるだけの知恵を自ずと得られるんだよね。

「組織」の扱い方

組織は道具に過ぎないんだよね。ベッタリ過ごすイヤなものとは限らない。

パソコンやスマホといった電子デバイスと同じだ。
パソコンは、自分でハードを組んでソフトをプログラミングできる。
スマホは、アプリを作ったり写真や動画を撮ったりカバーやケースで遊んだりできる。
趣味や遊びや学びの延長で売上を出すことも出来てしまう。

組織も、アルゴリズムを習得した上で自分が参加して、ルールを作って仕組みを回せると凄く面白い道具だ。会社法や、会計基準や監査基準や内部統制基準や、租税法や行政法や労働法や、ISO規格やSCMや、発達心理学や社会心理学を知ってしまうと、ほぼ裏が読めてしまう。

裏が読めるということは、芋づる式にヒト・モノ・サービス・お金の流れがわかってしまうということだ。

こういう「わかっちゃった人」には情報を隠せない。

道具に使われる組織がいいのか?

道具をカッコよく使いこなす組織がいいのか?
これは自分で選べるんだけどね。

組織を電子デバイス感覚で使いこなす。
そのためには上に挙げたような知識は最低条件。
その関連分野を増やすことでやっと応用ができる。

これで組織が面白くなることだけは覚えておくといいんだよね。

「経営者感覚」の本音 その2

・もっと売上と利益と福利厚生と資金回転を良くしたら?
・もっと学歴と知性と行動力を力強くしたら?
・もっと立ち居振る舞いをカッコ良くしたら?
経営者感覚なんて、これだけなんだよね。

「選択肢」の扱い方

物事の成果とは、選択肢の集合である。

選択肢を自分で腹落ちして選ぶには、出来るだけ「好きなもの」に囲まれて、攻守どちらも好きなもので固めるといい。
ここで言う選択肢は、ゼロかイチの変数を明確に選ぶことかもしれないし、大雑把な推定に基づいて少しずつ具体的な道筋を描くことかもしれない。
あるいは、全く見えていなかった偶然の産物による「巻き込まれ選択肢」かもしれない。
これらの場面でどんな道を選ぶかは、あなたが何をイメージしているかによって、大きく異なってくる。

「苦しくても楽しくても、それはあなたの決めた選択によるものだ」と言われたとしよう。

この本質は「あなたが普段からイメージしているものがもたらした結末」ということだ。
面白いものをイメージする人なら、コメディ映画・舞台や落語やジョークで埋め尽くされているだろう。
つらいものをイメージする人なら、愚痴や陰鬱な言葉や、ジョークすら通じない感性に埋もれているだろう。
知的なものをイメージする人なら、少なくとも人文科学・自然科学・社会科学のいずれか埋め尽くされているだろう。
イメージには、プラスであれマイナスであれ、行動や思考の材料が寄せ集まってしまうのだ。
 
これは心理学で言うところの防衛機制に関わりうる内容だろう。心のダメージ回避は、否定しても全然意味がない。
 
 
つまるところ、選択肢なんて、
「失敗したけどあの選択肢でよかった…かも?」
「ぐちぐち言ってるけど、実はぐちぐち言うことを文章化したらスッキリした」
「スッキリしたときに書いた文章が売れた」
「むしろあの失敗は大成功への入り口だった」
というような流れの導入にしちゃえばいい。

せめて、防衛機制を味方につけるために、少しでも好きなことばっかりやったほうがお得だ。
そうすれば、うだうだ悩むことが、ある種のストレッチのように過ごせる。頭の整体を受けたかのように。
受動的に思っていたやむを得ない選択肢が、ほんの少しでも能動的に感じられたら、その選択肢は自己肯定の入り口なんだよね。

「問題解決できない」の本音と扱い方

・網羅性が低い
・バイアスから抜け出せていない
・心理的あるいは肉体的に疲れ切っている
問題解決できない状況は、これらが重なって起こる。

疲れはさておき、網羅性の低さとバイアスの強さは、「先行研究を調べ切れていない」とか、あるいは「情報弱者」と言い換えられる。

特定分野での言説がそのまま他方面に当てはまると勘違いしてしまうと、網羅性が低くなり、バイアスから抜け出せない。

お金や給与や待遇や組織について考える上で、社会学や情報工学の観点ばかりで考えても無意味だ。

先端技術やAIについて考える上で、経営学とその周辺程度の知識では何もできないことは、明らかだ。

高学歴かつ相応に頭の回る層でさえ、ストレスにやられて、このような「情報弱者モード」に陥ってしまうことが多々あると留意しておくといい。

情報弱者とは、問題解決できずにストレスを溜め続ける弱者の始まりだと、早々に気付いておこう。

そう気付けると、自分の常識を高次の情報であっさりと書き換えることこそ、この上ない快感だと実感できるんだよね。

「言行一致」の扱い方

言行一致の死守は、信頼を得るための原理原則だ。

ただし、これには例外がある。信頼が疑わしい人に対しては一切死守する必要はないという点である。

しつこい営業マンや、一方的にズケズケ言い寄ってくる口先だけの層は、言行一致のエネルギーを注いでやるだけ無駄だ。

それどころか、相手がこちらの言行一致を曲解して、楽しみを害することになりかねない。つまるところ、時間の無駄である。

言動が怪しい層はそもそも言行不一致なので、こちらは一致も不一致も起こさない「無視」で上書き対応すればいい。あなたが不審な層と関わってリスクを被りたくないのなら、さっさと無視することだ。

クチの筋肉で出せる程度の言葉より、心の声に応じた本音の言葉を大事にすればいい。

これは言行一致であり、知行合一でもあるんだよね。

「中身がない人」の本音と扱い方

「中身がない」という残念な現象には、共通点がある。

中小企業・零細企業の経営者や従業員、ネットビジネスやマルチ商法の胴元、口先だけで売上を立てて尊敬されない分野の人…といった例が、中身がない現象を持つ層だ。

このような残念な層の共通点として、
・揃いも揃って柔軟性がない
・合理的に学ぶ姿勢がない
・そもそも面白がって学べるだけの基礎がない
・何でも物事を逆ギレやはぐらかしや文句で誤魔化す
・謝罪しない
・できない理由ばかり挙げる
という特徴が挙げられる。

こういった層は、目先の体験や利益にしか目が行かず、思考を放棄している層だ。例えば、コンプレックスで負け犬根性を植え付けられたのかもしれないし、物事をごまかしながら生きてきたのかもしれないし、底辺を這いずり回っていたのかもしれない。

その割に、自分がスッカラカンだとバレたくない。そんな怖さを誤魔化すための「ウソでウソを塗り固めた手抜き工事と粉飾」が本音だから、上のような態度しか取れないのだ。

仮に実績を出しているように見えても、またビジネスであれば実際に売上が立っていたとしても、本音は「手抜き工事と粉飾」だと本人がわかっているので、態度の悪さで誤魔化すことしか出来ない。

実際のところ、自己弁護に徹して出した中身のない実績など、水の泡だと最後にはバレてしまうんだよね。この残念な層は全て、一定レベル以上の思考ができる人からすれば、関わるだけ時間がムダだ。

上のような理由付けすらも時間のムダと感じるくらい、柔軟性がなく、関わっていて面白みに欠ける。要は、同じ言語を使って意思疎通が出来たとしても、実質は「ノイズ」だとか「遠吠え」に過ぎない。

この真逆が、「中身がある側」に回る道だと気づけたら、一気に世界が拓けるんだよね。

中身のない層は、この上なく中身のある世界一の反面教師と言っていい。