評価経済について疑問が氷解したお話。

daily0 本音たち。

評価経済って、要は「大声を出せる個人のマーケティング」でしかないんだよね。

個人の知名度をウェブで換価するだけなので、

・評価経済の上の側が発するメッセージは大声大会のマーケティング

・そのメッセージの品質や科学的根拠や本源的価値は誰も保証していない

ということである。

いっぽう、オリコンチャートとかM-1グランプリを個人化したというだけで、

例えば研究者や専門職の人だとか、児童書出版社や業界紙だとか、

あるいは社会的に蹂躙されてどうしようもない人だとかは、

「そんなの関係ないよね…」と思うか、
「ウェブではまだ出てきていないからやってみるか!」
の二択になるんだろうなあ、と。

ふと、以下の概念を思い出した。

“スタートアップは極端に直感に反する” – ポール・グレアム

Unlearnすべきゲームのルール


①100点満点の解答用紙に正しい答えを埋めようとするゲームを忘れる

②上司にうまく報告するゲームを忘れる

③多くの人から好かれようとするゲームを忘れる
④少しずつ改善するゲームを忘れる

⑤多数の競争相手の中で一番になるゲームを忘れる

⑥予算消化のゲームを忘れる

⑦最初から広い市場を狙うゲームを忘れる

⑧うまくいかなかったことを誰かのせいにするゲームを忘れる

出典:『起業の科学 スタートアップサイエンス』pp52-53

評価経済自体がこの渦中にあって、どうピボット(転換)するかもまったくわからない。

これは仮想通貨も同じような状況だろう。

(もっとも、仮想通貨は会社法まわりの株式の取扱やファイナンスがわかっていれば、ある程度の推定は出来るけれども。)

実際のところ、何らかのUnlearnを通じてアイディアを出すには、

①の「100点満点の解答用紙に正しい答えを埋める」に足るくらいの様々な知識は、

持ち合わせていたほうがスムースでスマートだ。

また、評価経済で評価されること自体、

③の「多くの人から好かれようとするゲームを忘れる」ことに部分的に反している。

この矛盾が「新しい割に古臭い」と感じていたポイントだ。

ということは?


多くの人からはまず好かれず、いっぽうでカルト的な人気を博して、

結果的にグロースして多くの人から好かれる…という過程を経ることになる。

これは(未だ短い)ウェブの歴史が証明しているところでもあるよね。

つまり現段階の評価経済は、

・雑誌に載っているランキングの代替材(換価が可能)

・オピニオンや創作物や知見について、品質や学術性は不透明

・一方でスタートアップの要素は誰にも残っている

と、修正すべき穴と矛盾のある状況である。

どこかで聞いた大声だけでなく、繊細な小声を大きくしていくことが、
この穴を埋めていくことの本質ということなんだよね。
遠藤武(えんどう・たける)
グロースハッカー。

↑詳しい自己紹介は上記リンクを参照。

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