「想像力」の扱い方

daily0 本音たち。

想像力とは、ありえないほど自由な視点で物事を生み出すための基礎だ。

そのためには「常識」と「非常識」のどちらの価値観にも通じている必要がある。

「この物事は、低俗なものか、高尚なものか、下品なものか、上品なものか?」
といったように。まずは全ての物事を常識的に判別するスキルが、想像力の下地として求められる。

この判別がついた上で、既存の物事を自らぶち壊したものを説明できる(あるいは可視化・ストーリー化できる)ことが下地となり、ようやく人に伝えられる想像力が姿を表す。

芸術でさえ、どんなに前衛的な表現を施そうとも、常識を下地にしている。
常識があるから非常識があり、これこそ想像力の源泉ということだ。

一方、想像力をただ非常識の側からもてあそび続けると、どうなるだろうか。

「下衆の勘ぐり」に過ぎない薄汚い妄言や失言や、疑心暗鬼に起因する価値観の押し付けや、果てはハラスメントや暴力行為……頑固や偏屈やセンスの悪さで人を不快にさせるような、見苦しい失態につながりかねない。これらは、ここで述べている想像力ではない。

想像力は、あくまで自由であるための動作である。それは自由を奪う無法地帯ではなく、また直言を弄んで人を傷つけることではない。想像力は「常識としての自由と無法の区別」を持つことが、必須条件である。

常識知らずの「自称変わり者」や「自称実験者」や、不快な放言ばかり繰り返す危ない人は、実態はただのヘナチョコが服を着て歩いているだけだ。

常識と非常識との対比が適切にできて、初めて「自由な想像力のリテラシー」があると言えるんだよね。

遠藤武(えんどう・たける)
グロースハッカー。
endoutakeru

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■遠藤武のやっていること■

・経営トップ向けに「仕組み化」のプライベートアドバイザリーを手がけています

・中央経済社『旬刊経理情報』誌にて、仕組み化とデータ分析に関する見開き2ページ連載記事を、2022年7月より月2〜3回ペースで執筆しています
(2024年8月に50回を超え、書籍化企画を進めています)

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