組織とは「特定の価値観を、集団的に信じさせる仕組み」でしかない。
国家だろうと、官公庁だろうと、宗教法人だろうと、企業や病院だろうと、飲食店やテーマパークだろうと、組織に共通する骨格はいずれも同じだ。
個別の組織について、
・資産と人員の知的水準
・生み出すことができる価値
・提供するモノやサービス
・組織の文化とルール
・品質や社会的信用
といった、組織を特徴付けるコンテンツや要素を取り去ってみよう。
組織に残るものは「ミッション」と「ストーリー」と「感情」だけである。
組織に関わる人々が見定めるべきは、「ミッションに応じたストーリーに、日々喜んで自発的に関与できるか否か」だけである。これは、映画や小説や音楽の鑑賞と全く同じだ。
こうやって仕組みを見定めたとき、
「この組織は命令・ミッションがいい加減でおかしい。自分は不快だ」
「この組織の命令・ミッションはある程度は賛同できる。まあまあ快適だ」
「この組織の命令・ミッションにフルに賛同できる。快適なことこの上ない」
と様々な感想が出るだろう。
ここで、最初に提起した「特定の価値観を、集団的に信じさせる仕組み」という組織の本質を、鑑賞ベースで再定義してみよう。
つまるところ、組織へのフィット感は、「多数ある価値観のうち一つに、あなたの価値観が偶然フィットしたか否か」という話でしかない。誰かが作った価値観の鑑賞を通じて、自分にとっての感想と、他人にとっての感想は、いくらでも違っていていい。組織に対して、人間側が必ずしもへり下る必要などない。
だいいち、あなたの感性や価値観にフィットした組織しか、あなたは楽しめない。作品の鑑賞と同じだ。組織もしっかりと鑑賞され、人間が堂々と感想を出せるほうが、かえって長続きするのである。
つまるところ、組織へのフィット感は、「多数ある価値観のうち一つに、あなたの価値観が偶然フィットしたか否か」という話でしかない。誰かが作った価値観の鑑賞を通じて、自分にとっての感想と、他人にとっての感想は、いくらでも違っていていい。組織に対して、人間側が必ずしもへり下る必要などない。
だいいち、あなたの感性や価値観にフィットした組織しか、あなたは楽しめない。作品の鑑賞と同じだ。組織もしっかりと鑑賞され、人間が堂々と感想を出せるほうが、かえって長続きするのである。
この発想で明確に言えることは、「組織に属する上で、あなたは特定の組織がもたらす場面について、人質や奴隷のような発想を抱く必要などゼロだ」ということだ。
あくまで、合理的で楽しい意思決定を経て、自由を行使する側に(学び続けて)立ち続ければいいのである。
そう動いていれば、あなたを不快にさせる残念な組織など、少しずつ消えていくんだよね。