物事を言語化し、他者に的確に伝えられるならば、その人は十分に有能だ。
この能力の有無は、様々な分野の知識の多寡で決まる。
前工程として、知識を蓄え表現するツールであるボキャブラリーが欠かせない。
ボキャブラリーを操れるということは、言語を通じて物事を操作できるということだ。
ただし、単にボキャブラリーが多いだけでは「ただの受け売りでしょ?」と喝破できてしまう点にも注意したい。
ボキャブラリーを(つまりは言語を)使って、仕組みや概念やアイディアを出し、実行することが知性である。ボキャブラリーが貧困である状態では、知性はどうあがいても追いつかない。
外国人が喋る日本語を怪しく思ったり、日本人の扱う英語が幼稚に聞こえる場合がある。これは、実際の知性はさておき、ボキャブラリーが知性を反映してくれないから生じる現象なんだよね。