「亀の甲より年の功」という言葉がある。
大きい組織や集団においては、「年の功より世代交代」が100%正しい。
そして世代交代とは「頑固さをなくすため、老害とサヨナラする」ことに他ならない。
水が淀んでしまえば、新陳代謝がなければ、人も組織も時代の流れに上書き消去されてしまう。
新しさや荒削りや温故知新の前には、頑固さはただ上書きされるのみである。自分から書き加えるのか、他人から書き込まれるのか、どちらがいいかという話である。
「明日ありと 思ふ心の 仇桜 夜半に嵐の 吹かぬものかは」
とは、親鸞聖人が9歳のときに詠んだとされる歌だ。伝説のごとき歌であるが、詠んだ年齢と示す内容の二つの文脈から、世代交代を象徴している歌だと私は解釈している。
所変わって、クラシック音楽家や演奏家や色々な表現者さえ、幼少期や青年期から傑出する人に対し、どこかで戦々恐々としている。特に中間層にはそのような空気が蔓延している。老いてなおパワフルなマエストロ(巨匠)は、育てる側に回ってしまうから別だけれども。
要はどの分野であれ、仮に今が安泰だと思えても、明日には風の一吹きで散り果てかねないのだ。
この際だから、はっきり言い切ってしまおう。
コスト管理もろくにできない天下り元役人が組織に居座るなら、直ちに切ろう。
新卒採用なら一発で不合格になるような、喋り方や考え方がモゴモゴして当を得ない管理職は、直ちに切ろう。
外資企業になった瞬間、カルチャー変化に対応できないサラリーマン管理職は、秒速で切られてしまっていることを知ろう。
どんな場面であれ、しれっとした顔で徹底的に見切りをつけよう。 老害と感じたら、素直に「老害だ」とタグを付けてしまう勇気を持つだけでいい。 その対象は、実際に会った人でもいいし、面接でもいいし、親族との会話でもいいし、国会中継の動画でもいい。
この勇気を持つには、徹底的に学び続けることが求められる。最初のうちは、学ぶ理由を「しれっとした顔で古さに見切りつけるためだ」と言い切ることも、工夫の一つだ。
いっぽう、「老害と言われるのは嫌だ!」「切られたくない!」と感じる人はどうすればいいか。
対処は簡単だ。ここまでで述べてきたことに素直に手をつければいい。自ら老害であることをあっさりやめ、どこかのタイミングでマエストロとして育てる側に回ってしまえばいいのだ。
「明日ありと 思うトロロの 麦ごはん 今にアタシが 食わぬものかは」
とは、六代目三遊亭圓窓師匠の創作落語『明日ありと』に出てくる、先に挙げた親鸞聖人の歌のパロディだ。
氏は40歳過ぎでパソコン通信に関わり、59歳でウェブサイトを持ち、今では育てる側にも回っているんだよね。
この事実と、このパロディから何をつかんでどう動くかは、あなたのフレッシュな面白がり方次第だ。