如何ともしがたい不安に襲われることは、
誰にでもある経験だろう。
これを「ノルアドレナリンが分泌されている」という一般的な理屈で言い表すことや、
「不安を含む感情全般は日常とは関係ないエンターテインメントの一種である」という極論で説明することは、
数多くなされてきているのでそろそろ聞き飽きた頃だろう。
VUCAの時代で言えば、
不安を不安として事実認識するとき、
そこにノビシロがある。
要は光の当て方を変えると、
「まったく、最近の若いモンはなっとらん!」
という、その他大勢化した老害のイライラ表現は、
VUCAに対してつのるイライラや不安と同じなのである。
変化して先が見えないとは若さの特権だ。
ということは、
VUCAは変化する人にとっては追い風だ。
そう捉え直すと、不安とは実は、
少数派として飛躍するための武器だと思えて来ないだろうか。
SNSの影響で、
不安煽りがあちこちで見え隠れし悩む人がいる。
不安煽りとは、
そう言い出すことで都合が良くなる誰かがいると思っておけばいい。
これはマーケティングの基本中の基本だ。
だいいち、論客で不安煽りしかできない人は、
現実解すら出せない自称論客の素人というだけか、
不安煽りをすることで利得を得られるかの二択だ。
これは古今東西どこの誰にも共通している事実である。
(同様に、ハッピーになることをだけを強調するというのは、詐欺師の手口だ)
現実解。
個別的に見ていけば、
VUCAで先が読めないという状況は、
「少し前の常識との比較」でしかない。
自分の都合を軸に分析して、
比較から差を埋めれば、
ノビシロの材料などすぐ見つかる。
boxcox.net、遠藤武。