「わかっているけどできない」とは、あなたの器に余裕が不足している状態に悩まされている状況である。
自分の行動や言葉について、自分の「コップ程度の狭い器の常識」を優先させすぎてしまい、余裕がなくなり「できない」だけなのである。
常識に囚われれば囚われるほど、「コップ程度の狭い器の常識」に悩まされる。こうなると、ある日突然、コップの中の嵐にかき回されてしまいかねない。
いっぽう、あなたにはコップの水を飲む自由も、他者に分け与える自由も、一滴ずつ垂らす自由も、頭から被る自由も、コップごと壁に叩きつける自由もある。起こりうる(起こせる)現象を適当に列挙するだけでも、自由に取りうる方向性は数限りない。
「器を大きくする」というありきたりな発想に、頭デッカチに悩まされるより、適当に放り投げて行動し、思わぬ道を選んだっていいのである。
今までと逆を取るもよし、地道に「やっていないこと」を列挙して取り組むもよし、不条理でランダムな組み合わせを無数に出して行動するもよし、ということだ。少しばかりバカげたことに取り組んで、わかっていないことをわざと増やすくらいで丁度いい。
敢えて器を叩き割れるくらいのほうが「わかっているからこそできる」「わかっていないけどできるようにする」という場面を描きやすいんだよね。