基礎知識が無いと思ったら、さっさと仕入れる。
仮に忘れたと感じたのなら、さっさと同じものを仕入れる。
それでも不足を認めるなら、さっさと同じものをしつこく仕入れる。
しつこいフローを抜きにして語ってしまうとカッコ悪い。
遊び道具を抜きにして遊びを語るも同然だ。
もちろんいきなり出来てしまえば、それはそれとて面白い。
「出来てしまう」を定義するなら、自由なイメージできること。
自由にイメージできるとは、遊びのルールに通じること。
「あそびをせむとやうまれけむ」も『ホモ・ルーデンス』も同じこと。
仮に生産性を伴う物事だったとしても、
基礎段階は、非生産的な部分を許容するくらいでいい。
しつこく仕入れて、少しずつ違いを見出して基礎を操るためには、
本気で遊び倒して失敗できる非生産性がなければ何も始まらないよね。