「突き抜ける生き方」の本音

daily0 本音たち。

突き抜ける生き方とは、独特な経験や発想や感性を背景に生きることである。

統計学の言葉を使えば「外れ値(outlier)」ということだ。

「平均からどれくらい離れているか?」という程度では、突き抜けていることにはならない。

だいいち、簡単に言語や数値で階層を描写できる程度であれば、

突き抜けているとか独特だとはこれっぽっちも言えないのである。

モデル化しようにも前例がなく、大多数の人からすれば理解も解釈もしようがないことが避けられない。
時として「常識というモデルから、外れ値として除去される疎外感」に悩まされる状況も少なくないだろう。

いっぽう、これは大きなチャンスでもある。

ヒエラルキーの上下で解決できないだとか、

モデル化しようにもモデルの前提になる類似データがない状況とは、

「自由に価値判断を創っていいんだよ」というひらめきの入口だよ。

一定の基礎さえどうにかなっていれば、あとは各々が「手持ちの札をどう切るか」というだけだ。

「手持ちの札をどう切るか」という視点は、

言葉通り自分の専門性の采配を合理的かつ大胆に練って実行することかもしれないし、

手持ちの物事や能力を実際の名刺大のカードに見立てて、紙細工や切り絵やアートや情報をつくることかもしれない。

あるいはその両方の自由な組み合わせかもしれない。

これがただの悪いおふざけや冗談に聞こえたとしても、

「自由に価値判断を創っていいんだよ」というひらめきは、

基礎を大事にしながらも、これくらい極端じゃないと始まらないんだよね。

面白いことに、「自由」を大事にする校風の中学校や高校は、

入学偏差値が物凄く高いケースと、

入学偏差値が物凄く低い(まったく気にしない反教育産業の教養主義)のケースに大別される。

どちらも思いっきり突き抜けているよね。

その自由の先には偏差値80台の世界の続きがあるかもしれないし、
その自由の先には偏差値20台の世界の続きがあるかもしれないし、

その二つの自由は、実は最終的に同じような突き抜け方をするかもしれない。

いずれも、優等生とも劣等生とも、成功者とも失敗者とも規定するつもりがないくらいに、

世間の発想から思いっきり自由に、インテリジェンスをすごく大切にしながら突き抜けている。

学問でも芸能・音楽・芸術でもビジネスでもいいけれど、

突き抜けている生き方を見せている人の経歴を調べてみると、

出身校や背景に、序列を突き抜けた特徴が出てくるんだよね。

突き抜けることとは、自分自身に対して、

基礎を付けた上でそれを自由に扱う発想を認めてやることだ。

cutting edgeって、その矛盾があってこそ初めて創り出せるんだよね。

遠藤武(えんどう・たける)
グロースハッカー。
endoutakeru

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■遠藤武のやっていること■

・経営トップ向けに「仕組み化」のプライベートアドバイザリーを手がけています

・中央経済社『旬刊経理情報』誌にて、仕組み化とデータ分析に関する見開き2ページ連載記事を、2022年7月より月2〜3回ペースで執筆しています
(2024年8月に50回を超え、書籍化企画を進めています)

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