どうしても壁を超えられないとき、
大小さまざまな視点から物事を見定めるといい。
木も見て、森も見るのだ。
木を見るとは、データや事例を個別に見て、物事を分解していけるということだ。
このような「バラす」は分析の基本である。
森を見るとは、木の状況を大枠で捉えて、物事を統合していけるということだ。
このような「束ねる」は基本の逆演算である。
つまるところ、
「バラす」と「束ねる」の繰り返しで洞察を出すことで、
ギャップしかないところに、段階を追って進むという、
無理のないストーリーを作れる。
ギャップは壁であるが、無理に壁を壊すことをせずとも、
壁に階段を作って超える知恵を出せるのだ。
「バラす」と「束ねる」は分析であるが、これは自由に枠外から発想する方法である。
これは「クリティカルシンキング」であり、批評的思考や臨界思考と解釈できる考え方だ。
本音をバラし本音を束ねることで、本音をロジックに乗せ、別次元に向かうことができるのだ。
もうバレてきているから明らかにするが、
「ロジカルシンキング」とは理屈や道具の制作代行であり、召使いの技である。
批評や臨界には至らない。
召使いには、本音など不要であり、ご主人様の望む答えだけ出せばいいからである。
これは実は分析とは言わない。
既存の理屈や合理性だけ見ていくなら、数式に起こすなり、システム化すればいい。
いくら洞察したり、数式に起こしたり、
システム化しようとしても、
好き嫌いが先に来ることなど多々あるのだが。
だからこそ、
最終的には誰かの好き嫌いで決まることを踏まえ、
全体も個別も見て分析するのだ。
現実解。
木も見て森も見ることで、壁を超えるとは、
「バラす」と「束ねる」を通じて、本音を見定めることである。
本音を段階的に捉えていけば、自ずと壁が超えられるのは、無理のない進み方だ。
ボックスコックスネット、遠藤武。