「あの時ああしておけばよかった。」
そう言い出たくなるなら、いちいち表立って言葉に移さず、行動に移せばいい。
後悔するとは、次の行動を得るための方便でしかないのだから。
現実解。
後悔がゼロになることは、そもそもありえない。
むしろ、後悔が残るほうが健全である。
顧客対応だろうと、執筆だろうと、
パーフェクトにみせかけて、
実は人知れず後悔の連続であることが正しい。
後悔するとは、本気で悩んでいる証であり、
うじうじした後悔を打破することでしか、
本気の悩みを本気で打ち返すことはできない。
「あの時ああしておけばよかった。」
その次の瞬間に、
「だから今すぐこうする。」
のか。
何度も何度も、
「あの時ああしておけばよかった。」
「あの時ああしておけばよかった。」
「あの時ああしておけばよかった。」
と、墓に入っても繰り返すのか。
これは、正直に言って個人の選択の自由だ。
あの時転職しておけばよかった。
あの時独立しておけばよかった。
あの時欲しいものを買っておけばよかった。
あの時別れておけばよかった。
あの時謝っておけばよかった。
あの時つっぱねればよかった。
あの時「ありがとう」と言っておけばよかった。
これを先んじて、前倒しで回避するには、
実行あるのみなのである。
死んだあと、
「あの時ああしておけばよかった。」
の羅列が、最後の言葉だと書きたければ、
それもまた人生。
それが嫌なら、
そう言い続けて口先に逃げることを、
場所や環境を変えてでも、
身銭を切って鍛えてもらってでも、
変える以外にないんだよね。
どんなにちょっとしたことでも、
一切口先だけの理由付けに逃げない。
もし同じ口先なら、
インプットもアウトプットも思考も試行も、
徹底しているだけで、口先は口先じゃなくなる。
うまくいっている人の真似をすればいい。
かつ、逃げる自分を極限まで許し、
逃げでもいいから楽しくルートを創ることを、
あっさり素直に試行すればいい。
そうやって、
「あの時ああしておけばよかった。」
を、丁寧にひとつひとつ、
逃げた結果でもいいから消し込んでいくこと。
これは創造的破壊であり、結果的に辻褄が合えばそれでいい。
逃げて逃げて逃げまくって、逃げから学んで、
その結果、逃げる必要のないことが見えれば、
その人は逃げのプロだ。
圧倒的多数は、中途半端に逃げているだけなのだから、
逃げる必要があるなら徹底的に逃げて、
自分に有利かつ周りの人を幸福にする仕組みを創らなきゃ。
同じ口先なら、逃げているのか、創っているのか、
もはやどちらだか区別がつかなくなるくらい、
前向きなほうがカオスで丁度いい。
混沌としていることが、想像を創造に変える入り口だ。
常識を知り、かつ常識を懐疑して、混沌とすることで、
初めて常識を飛び越えることが出来るんだよね。
「あの時ああしておけばよかった。」
これに感謝できれば、事実を直視して、
うじうじから堂々と行動できている証だよ。
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遠藤武