月別アーカイブ: 2018年6月

「知らぬが仏」の扱い方

「自分は何も知らない」と悟って、数多を知ろうとし続ける態度が大切だ。

「知らぬが仏」という言葉の一般的な意味のまま過ごし、
ほんの少しの知識の足りなさにやられてしまうと、
知らず知らずのうちにお陀仏さんという状況になりかねない。
知らないことを脊髄反射的に不存在とするのではなく、
知らないことが存在する点を認め続ける、
そんな勇気が大切なんだよね。

「わかったフリ」の扱い方

行動できる人は、わかったフリをしながらも、独自のルートから更に掘り下げて理解を深める。

行動できない人は、わかったフリをしただけで、右から左に情報を転がし、ストックが増えない。
わかったフリをしたときの言い間違いや言い訳や、
その後のフィードバックのやりとりの有無に着目すると、
わかったフリの裏側にある意思の有無が、如実に出てしまうん。
行動できない層ほど偉そうだったり、既得権にすがるだけで、
そもそもろくすっぽ理解する意思などどこにもないんだよね。

「執念」の扱い方

自発性や自由があると、執念や悔しさに突き動かされる。

それ故に苦しむこともあるが、少なくとも「自由とは何か」を問うているので、
自分にとって尊い物事が何かを探り、応援を得やすい傾向にある。
自発性や自由がないと、ただせせこましく煽ることしかできない。
執念などなく、既存の枠内で搾取し搾取される立場を我慢するだけだ。
これを他人に強いるので、本当に自由な人からすれば、
「バカじゃないの?」という感想しか出てこない。
後者は、サラリーマンを始めとした組織集団や、それらに似たヒエラルキーに、
嫌々ながら物事を押し付けられるだけだ。
執念のない退屈な状況の典型例なんだよね。

「大失敗」の扱い方

ここ一番で、コントだかギャグ漫画のような、

ありえないほどのケアレスミスや大失敗をしたとしよう。

これがせせこましい縄張り争いのような場面で起こったのなら、終わりの始まりだ。
このとき「お前はもう死んでいる」と言われた状態と同じだ。
自分でそのように気付けるかはさておき。
これが何かに挑戦している場面でふと起こったのなら、新たな始まりだ。
どこかで必ず興味深く話を聞いてもらえるので、開き直って生き生きするくらいでちょうどいい。
堂々としているだけで、周りにいる人が助けてくれるので、
大失敗は根本的に意味を変えてしまうんだよね。

「観察眼」の扱い方

いまこの瞬間を、主体的に動いているのか?

それとも、主体的だと思い込みながら、

仕組みに取り込まれているだけなのか?

この問いは、ふと突然やってくることもあれば、
気づかないうちに足を踏み入れていることもあれば、
何にも気づかず楽しく(あるいは苦しく)過ごしていることもあるし、
気づいたら脱していることもある。
状況に応じて、納得しながらどちらを往復することもある。
いちばん辛いのは、いくら観察しても、これを認識したくないという具合に、
怖さだけがただただ先行してしまうことだ。
このとき、少しでも楽になる方法を見出すなら、
それは「一次資料としての体験」を増やす以外にない。
知識を増やすにしても、自分自身の強烈に体験的な問いを据えるべきである。
トラウマやコンプレックスや疑問点のような主観は、
れっきとした一次資料であり、それを根底に据えて観察することでしか、
自分オリジナルのブレイクスルーや問題解決を紡げないためだ。
天下り的な教条の連呼にこだわっている人は、
自分で主体的に観察する側に回っているように見せかけて、
誰かに主体性を奪われた被観察対象であるだけなんだよね。

「※個人の感想です」の扱い方

「因果関係の証拠がない」

「勉強が不足している」
これらのフレーズは、不備のある議論を押し通すために使うことができる。
このとき、テレビCMでよくある「※個人の感想です」という文言が、議論にくっついていると思えばいい。
これに対処するには「個人の感想」を用いた不備付き科学を見分けることが重要だ。
的確に掘り下げるべく、上記の論法の発し手について、
・どういった分野や組織に関わってきたか?
・発言から推定するに、(今までも含め)どこからキャッシュフローを得ているか?
・広宣流布や営業を行なっているだけではないか?
というように、関連当事者の個々人を読み解く視点を投げかけてみると良い。
これは実は財務分析の一部流用だ。
反証可能性を排除し、都合の良くない先行研究について、
意図的に無視する態度に用いることを認めてしまっては、
それはもはや科学とは言えない。
そのような不備付き科学を読まされる前に、
個人のお財布を科学的に読み解く必要があるんだよね。

「純粋さ」の本音と扱い方

混じりっけがなく無邪気であることが全てだ。

混じりっけがないからこそ、純粋に考えた分だけ考えが深まり、鍛えた分だけチカラがつく。
一般に、幼少期ほどグイグイ成長できることの理由はここにある。
純粋さがあれば、年齢に関係なく成長できることも同じ理屈だ。
純粋でなかったり、素直さを欠いてしまったり、
勝手に時間の経過や人のせいにしてしまうと、こうは行かないんだよね。

「愚かさ」の本音と扱い方

何かにハッと気づいて方向転換できるうちは、

愚かさから学んで強くしなやかで自由に動くことができる。
そうではなく、上位互換となる事例や事実を無視し、
優しさや自由をないがしろにして、同じようなことばかりを
ただ連呼して煽っている層は、愚かさから学べない。
このような状態に陥っている人は、自分自身をいっさい回顧することができず、
ただただ自己弁護に走ってしまうためだ。
特に「頭を使っている」「科学的である」「自由である」「普通の人である」と言い張る場合は、
その裏に愚かさを誤魔化す意図があると仮定してみよう。
具体的には、
「頭を使っているフリをしている」
「科学的であるフリをしている」
「自由であるフリをしている」
「普通の人であるフリをしている」
と読み替えればいい。
大事なことなので繰り返しておこう。
・上位互換となる事例や事実を無視する
・優しさや自由をないがしろにする
・同じようなことばかりただ連呼して煽っている
こんな層は、オンラインでも対面でも、ポジションの高低を問わず、
愚かさを誤魔化していると解釈し、自分が懐疑心を見直す材料にしよう。

これは、愚かさに流されないための第一歩なんだよね。

「喧嘩」の扱い方

老若男女問わず、喧嘩など時間と感情の最もムダな争いでしかない。

つい喧嘩を仕掛けたくなるほどイラッとする対象は、
わざわざあなたが喧嘩を仕掛けるほどのレベルの相手ではない。

イラッとしたら、現在の延長線で物事を考えることをやめ、
自分のレベルを倍々ゲームで上げていこう。

一番良いのは、喧嘩の相手や対象が、
何かのついでに上書き消去されてしまうことだ。

これは、具体的な人的対象が上書き消去されることとは限らない。
社会的な役割があなたに付与され、喧嘩の対象が発展的にどうでもよくなることが、
現実解であることが圧倒的に多い。

そのレベルまで考え抜いて行動しないのであれば、
あなたの立場は、同じレベルの喧嘩地獄にとどまって、
同じようにループすることだけを意味する。

喧嘩自体よりはるかに辛い状況とは、
現在の延長線上にずっと居続けることなんだよね。

「しつこいゴリ押し」の本音

しつこいゴリ押しの裏には、そもそも自信のなさが隠れている。

邪魔なセールスも、うるさいだけの広告も、炎上マーケティングも、マルチ商法も、
「目立たなければ何も始まらない」という恐怖心が根底にある。

目立たなければ何も始まらないという発想は、
実のところ、何もしないよりは明らかに正しい。

ただただうるさく目立つようなとき、この正しさは醜く歪められ、
切羽詰まったノルマのような焦りが、表に現れているのである。

目立つことの本質は、興味深く面白い物事が自然に広がって、
自由な発想を持つ人が自然に増えるためにある。

親分が子分に向けてゴリ押しするような仕組みは、
不安を煽る上下関係に過ぎないんだよね。