物事を面倒だと思ったとき、それは以下のいずれかに当てはまる。
・そもそもわざわざ自分がやらなくてもいい、不要な物事
・メリットが出る、自分の参加や労力が必要な物事

前者だと明らかな場合、さっさとパスするか、アウトソースして(モノやサービスに頼って)しまえばいい。君子危うきに近寄らず。

後者の場合は、「いかにして面白くなるか」とか「いかにして結果的に片付くか」を探ることを真っ先に考えよう。
さっさとパスするものは「自分は意思が弱いから」だとか「才能がないから」という言葉だ。これを禁句にしよう。


・まずは「しなければいけない」という言葉を使うことをやめる。
・次に「対象となる物事のメリット」と「面白く感じる別ルート」を探り、肯定的な理由付けを行う。
・そして「少しずつ対象を実行しながら、上二つを洗練させ、頭と体をクセづける」ことだ。
この3つを、まずはぼんやりでもいいから焚き付けていけば、だいたいのことはどうにかなる。


話を具体的にしよう。
「めんどくさい」という流れをぼんやりと断ち切り、何らかの実利につなげるとすれば、
・試験対策(受験勉強、資格試験、単位取得…)
・スキル向上(外国語習得、プログラミング言語習得、統計学習得…)
あたりに効果がある。

上記の知識を蓄えるには、出来る限り「トラッキングできる知識」「品質の高い書籍や文献」に頼る必要がある。
使えそうで信頼できる文献を読まずに取り組むと、かえって辛いだけなので注意しよう。


このとき、まずはきれいごとや理念を考える必要はない。
理念があったほうが腑に落ちるなら、適当にクレドを参考にしても良いし、しなくても良い。

「頑張る」「挑戦する」「熱意」「幸福」という言葉に惑わされて、カラ手形を打つリスクを取るくらいなら、ぼんやりとでもいいから実利につなげたほうが良い。

精神衛生にも良いし、安心かつ現実的だ。


一定の流れが得られて、「ああ、これは理念や目標があったほうが良い」と感じたときに、理念や熱意を後付けで込めるという発想で、十分に事足りる。



ここまで読んで、ありがちな勉強法だとかの焼き直しに見えたとしたら、その視点は正しい。

わざわざ「めんどくさい」に絞ったのは、「めんどくさいなどと一切感じない人が(少数ながら)存在し、そういった人がひたすら目立っているから」である。

率直に「めんどくさい」の分析から始めて、「めんどくささを感じない目立つ人」に誰もが伍することができると言いたいだけだ。

実のところ「めんどくさい」を巧みにカットして物事と付き合えば、どうとでもなるんだよね。