「謙虚」の扱い方

daily0 本音たち。

謙虚とは、物事を腹落ちして自分の器をグイグイと自律的に広げることだ。

決して「謙虚になれよ」と他人から言われて従うことではない。
他律的な謙虚さなんて、ただの卑屈というだけだ。
かといって、ただ自律的であればいいというわけでもない。

謙虚について、問題点を二つ挙げよう。
(1)「自分は謙虚だ、自分の器は次々に広がっている」と簡単に言い切ってしまう問題。
行動するだけで、中身がないのにどうにかなってしまった人は、かなり危ない。口先だけで、実態は全然謙虚ではない。自律的であっても、中身と繊細さを欠いてしまえば、スタート地点に立つ前に自滅するか暴君と化してしまう。

(2)上には上がいることに惑わされて、卑屈になってしまう問題。
例えば、学歴(投資銀行が出した大学のリストなんかも参考になる)、人文科学・自然科学・社会科学、音楽、美術、スポーツ…。
こういった分野でのコンプレックスは、けっきょく自分はどうしたいの?という問いがなく、他律的に自滅している。

(1)と(2)は、どちらも「知ったかぶり」として共通しているんだよね。

自分の器をグイグイ広げる、自律的な謙虚とは、こういう知ったかぶり状態を解消させる発想だ。

知ったかぶりではなく、
「知らないなりに、知っている人を唸らせるだけの知識と知恵を持とうとする工夫」
を重視してみるといい。

そうすれば、謙虚になるだけの知恵を自ずと得られるんだよね。

遠藤武(えんどう・たける)
グロースハッカー。

↑詳しい自己紹介は上記リンクを参照。

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