「何者かになりたい」の本音と扱い方

「何者かになりたい」という願望がある。

これは「好きなことを制約なく面白く叶えたい」というだけなんだよね。

「何者かになりたい」という願望を、
「立身出世」とか「ビッグになる」とか「有名人になりたい」と、
つい即答してしまうのは、他人名義の既存の作品をコピー機にかけているだけだ。

これでは、既存の路線に乗っかるだけで、自分をヒエラルキーに押し込めてしまう。
ヒエラルキーに押し込めてしまえば、不要な制約に悩まされておしまいだ。

そうではなく、既存の作品に載っていない場面を空想したり、
既存の作品ではカバーしきれない物事について、
アドリブや新作のリリースをやってのけるために、
既存の作品を活用するのである。

ヒエラルキーなんて、空想ではねのけてしまえばいい。

日々の仕事や学びで、その場その場の現実に即して行動する自分がいるとしよう。
その場にいる自分を何者かに押し上げるためには、
何気ない場面一つ一つについて、「一つの作品」として仕上げてみる。

シンプルな例を挙げれば、退屈な仕事をしているのなら、
何気ないその雑務を一つの作品としてリリースしてもいい。
(pythonやVBAで効率化してもいいし、手作業の効率を上げてもいい。)

もっとテクニカルな話をするならば、作品を仕上げる発想を持つとき、
「全く同一の場面は、人生において二度と起こらない」
ことに念頭を置くといい。

何気ない物事から、少しだけはみ出すためのアイディアだ。
日常に反逆してみるための思考である。

同じように思えても、日付も気温も体温も、直近で起こったニュースも、
外のヒト・モノ・カネ・心・科学的な物事…の配置も、
実は何もかもが違っている。

二度起こったと感じたら、それは思い込みだ(それも悪くないけども)。

似ていると思っているだけで、全くの同一になる確率は、
気が遠くなるほどまでに微小である(ほどほどにしておくといいけども)。

・似て非なるこの違いは、どこからきてどこへやっていくか?
・どう認識されどう無視されるか?
・自分の内や自分の外に、どんな影響をおよぼすか?
・何らかの違いが、自分に影響を及ぼそうとして襲いかかったけど、
何も気づかないまま間一髪で回避していたかもしれないか?

良いことが起こっても、嫌なことが起こっても、平凡であっても、

何気ない物事を「想像の渦中」に放り込むくらいで良いのだ。

既存の作品の丸写しを否定はしないが、制約なく面白くするには、
これくらい抗うくらいでちょうどいい。

既存の作品には、他者の解答例だとか、模範解答も含まれる。

駄作も佳作も解答例も同じように「ひとつの作品」として愛で抗う材料にすればいい。


少しずつ「好きなことを制約なく面白く叶える」という方向性を少しずつ探るには、
価値がひとつだけにならないよう、現実と空想の境目で、
自分に揺さぶりをかけてみるといいんだよね。