「あたりさわりがないことは言いたくない。」
「もっとエッジの利いたことが言いたい。」
あなたがそう思うのであれば、
理屈を超えたえこひいきを理解しておく必要がある。
「ルール違反だ!アウト!」と「ルール違反ではないよね、セーフ」
の違いは、
「この人の、この文脈とポリシーなら納得できる」
というえこひいきから来るものだ。
これは、大なり小なりブランディングとして存在している。
(詩歌や小説や評論や美術など、特定の分野にくっついている場合もある。)
いっぽう、「当たりさわりのある表現」で弱者を食い物にしたりだまくらかすような場合、
「所詮その程度」と思う人が出てくることが避けられない。
これは、言説のあり方(と売り方)としては一向に構わないと思っている。
ビジネスだとか自己啓発だとかの言説は、仮に論文の場合における剽窃行為が確認されたとして、アカデミックな情報に照らせば出所が想定できてしまう。
「所詮その程度」という言説を、一向に構わないものとして否定しない理由は、出所を探し当てる文芸的な謎掛けの楽しみがあるためだ。
知性と自由を大事にしている数少ない人は、そのような言説を鉱脈として、勝手に上書きして超えていく。
もっと言えば、「超えていく」という表現は厳密には適切ではない。
そもそも最初から土俵が異なるのだから。
互いに交わらない世界を無理やり並べれば「超えている」と表記できてしまうだけである。
理屈を超えたければ、理屈ドリブンのケンカなど売らず、
諸々を知った上で、矛盾を超える上書き保存を試みてしまうくらいでちょうどいい。
理屈を知った上で理屈を否定する試みなんて、最高にゾクゾクするゲームだよね。