「社会に出たら学歴は関係ない」は正しい。
正しいゆえに、正論として声高に叫ぶ人がいる。
正論とは、頑張って叫べば叫ぶほど力んでしまい、
どうしても正論だけでカバーしきれないという、
厳然たる事実と、ついうっかり対比が始まってしまうのだが。
学歴について正論を振りかざしていると、
過去の栄光としての学歴(と実力の有無)が、
ついつい浮き彫りになってしまう。
となると、
「過去に学歴を取れなかったよな…」
「受験制度を調べきれていなかった…」
「数学/英語/国語がダメダメだったな…」
「推薦で入ったんだよな…」
「中高や予備校に感化されて、学部入試までは最強だったのに…」
「大学・大学院・アカデミック・知的生産レベルの英語や数学がからきしだった…」
「そのせいで就活や転職で失敗してキャリアづくりをミスした…」
「もっと勉強しておけばよかった…」
という過去と、無意識のうちに群れてしまうのだ。
現実解。
過去と群れてしまうなら、
堂々と未来を創る側に回るほうが、清々しい。
「もっと勉強しておけばよかった…」
という言葉をいまこの瞬間からゼロにできる人は、
どんな状況でも無関係に立ち直ることができる。
特に英語と数学に強いと、立ち直れる世の中に変わった。
追記。
結局は、教養(リベラルアーツ)の差に行き着いてしまう。
boxcox.net、遠藤武。